『 聖徒の交わりを信じます 』 (ヨハネの手紙一 1:1~3)
「わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。(ヨハネの手紙一 1:3)
本日は、先週の「私は聖なる公同の教会を信じます」に続いて、「私は聖徒の交わりを信じます」について分かち合いたいと思います。
「聖徒の交わり」はギリシャ語で「コイノニア・ハギオン」(聖なるコイノニア)と言います。「交わり」とは、ギリシャ語で「コイノニア」といいます。これは「共にあずかる、共に分かち合う」という意味として、新約聖書で19回使われています。
「聖徒」とは、聖別された群れを指します。その聖別されたキリスト者同士の交わりはキリスト者ではない人々との交わりとははっきりと区別されます。「聖徒の交わり」は、単に信じる人同士が集まって人間的な関係を深めることではありません。私たちが生きるこの世界に存在する共同体は、人が作ったもので、社会的イデオロギー、経済的利害、また、政治的思想、血のつながりなどによって絡み合っているわけです。そのため、いつでも葛藤が生じ、分裂し、相手に対する敵意を作ってしまいます。ですから、この世界における共同体は、その土台が非常に弱いのです。しかし、キリスト教会における交わりは、そのような社会的、人間的関係を超え、とても強いつながりを見せてくれます。とりわけ、教会における交わりは、一人一人の横の関係に止まらず、その二人の間を結ぶ神との縦の関係が存在するからです。それを表してくれるのが、イエス・キリストの十字架であると言えましょう。すなわち、この交わりとは、キリスト者すべてに与えられている神の子どもとしての聖さ、そして、イエス・キリストから注がれる恵み、そして聖霊なる神の働きに与ることです。…
それでは、「聖徒の交わり」とすると、その交わりの対象はどのような人でしょうか。 私たちの交わりは「霊的な交わり」であることを覚えましょう。ですから、「聖徒の交わり」は時間と空間に捕らわれないことを覚えましょう。すなわち、使徒信条に示されている「聖徒の交わり」は、先にこの世を去った信仰の先輩たちとの霊的な交わりです(ヘブライ12:1)。
次に、今、この時代を共に生きるキリスト者たち、国と民族、人種、文化、言葉、血のつながりなどを超え、イエス・キリストの十字架の血潮によって清められ、同じ信仰に結ばれている世界各国の聖徒たちとの交わりです。
そして「聖徒の交わり」は、教会という枠を超えて、イエス・キリストが命じられた使命として、私たちの周りの疎外されている者、苦しんでいる者、また捕らわれている者、貧しい者、病気の者への交わりを広げることです。まさにコロナ時代に求められることこそ、聖徒の交わりです。私たちは、主にあって一つであると、神の家族だと、よく話し合っていますが、本当に主にあって一つでしょうか。隣人が喜ぶ時共に喜び、泣く時に共に泣いているように過ごしているでしょうか(ローマ8:38~39)。
愛する神の家族の皆さん、「私たちは聖徒の交わりを信じます。」もちろん、今私たちが味わっている交わりは、完全なものでもなければ、赦された罪人たちの弱さが明らかにされている物足りないものであることを告白せざるを得ないでしょう。しかし、それにもかかわらず、私たちは主にあって約束され、神の国における「聖徒の交わり」の完成を夢見つつ、今ゆだねられている神の家族との交わりの神秘を深めていくべきです。そうする中で、「聖徒の交わり」の恵みはこの世の様々な壁を打ち破り神の国が拡がることを見ることになるでしょう。ハレルヤ!
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