2021年2月16日火曜日

2021.1.17 本日の宣教

 『 コラムデオ(神の御前で) 』   (詩編139:112)

 ラテン語の「コラムデオ(Coram Deo)」という言葉をご存知ですか。コラムデオ、この言葉は「神の御前で」という意味で、常に神の前に立って生きるという信仰を表す言葉です。神の御前で、神の支配と権威の下で、神の栄光を表しながら生きるという信仰姿勢と言えるでしょう。生きておられる神を時間と空間の領域において感じつつ、その方と共に生きるという、キリスト者としての神様との親密な関係を表すことでもあります。マルティン・ルターをはじめ、宗教改革を成し遂げてきた信仰の先輩たちが常に交わしていた言葉でもあります。

 さて、このコラムデオ、神の御前に立つ者としての信仰姿勢が最もよく現れているのが、本日の「詩編139編」であると思います。詩人ダビデに迫ってくる神への信仰告白に耳を傾けましょう。

主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる。座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。」(139:13

詩編139編の詩人は、まず、創造者なる神が、私たちの考えや計画、行いをすべて知っておられる方であることを告白します。神の御目はいつも私たち、神の子どもたちに向けられ、すべてを知っておられます。ここで、「座るのも立つのも、歩くのも、伏すのも、前からも後ろからも」とは、詩人が動き働く生活全般を示します。さらに詩人は、「自分の舌がまだ一言も語らぬ先に、すべてを知っておられる」という言葉を通して、詩人の心の思いも、考えもすべて知っておられ、ご覧になっているのだと証しているのです。

ただし、いつも見られている、すべてが裸にされているような生活…とりわけ、私の弱さも、汚れも、ありとあらゆる罪が全部見られ、裁かれてしまうとすれば、私たちの信仰は小さくなり、不安と恐れに捕らわれることになるでしょう。しかし、ここで、詩人が告白しようとする神は、私たちを監視しながら、私たちの弱さ、問題などを責められるお方ではなく、愛する子どもを助けようとする親のようにいつも共にいて、私たちのあるがままを受け入れ、抱きしめてくださるお方、一時も子どもから目を離さない優しい父なる神であることを詩人は歌っているのです。時には、自分自身の弱さのゆえに神から逃れ、隠れようとしますが、天に昇っても、陰府に横たわっても、海のかなたにいても、神は時間と場所に関係なく、いつも存在され、御手をもって捉えてくださるお方であると告白しています。

2021年、新しい一年を始めようとする神の家族ですが、ぜひ、「コラムデオ」という言葉を心に刻みつつ、日々の歩みを始められるように。歴史の中の偉大なる神の人たちは、こぞって身につけていた姿勢が、「コラムデオ」でありました。彼らは常に神の御前で生きる生き方を貫くことを心がけていたのです。

新型コロナウイルスによって、すべてが変わってしまった世界です。まさしく先が見えない暗闇の世界と言っていいでしょう。とりわけ人々との親密な触れ合いを大切にしてきたキリスト教会にとっては、大変厳しい時でもあります。しかし、今の時こそ、コラムデオの信仰に立つべき時です。すべてを知っておられる神、またすべてを治めておられる神の御心が何であるかを尋ねつつ、神の臨在を感じながら、御手に触れていただくコラムデオの恵み豊かな2021年でありますように。ハレルヤ!

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