2020年11月29日日曜日

2020.11.8 本日の宣教

 『 誰が、何を言おうとも 』 (ガラテヤ614) 

 コロナでコロナがいつ終わるかも分からず、人々はコロナワクチンが早く開発され世界が以前の生活に戻るようにと願っています。しかし、そのような願いとは裏腹にコロナは爆発的に拡がり、世界各地で再び、都市封鎖(ロックダウン)が実施されるほど混乱を極めています。今こそ、コロナという未曾有の試練を前にして世界中が一致して戦っても乗り越えられるか否か分からないのに、欧米諸国はじめ世界の国々は葛藤と分裂に走り続け、宗教戦争、ナショナリズム、快楽主義、個人主義など人間の罪の本性が爆発的に噴き出されていることを目の当たりにしています。
 さらに先日、アメリカで行われた大統領選挙は今まで経験したことのない方向へと進もうとしています。実質的世界のリーダーとして、またキリスト教精神に立ち、民主主義と資本主義の中心としての役割を担っていたアメリカが跡形もなく消えてしまいそうな気がしてなりません。どこを見てもキリスト教精神は見出せず、ただあらゆる欲望、差別、分裂、道徳的堕落などに支配されている国にしか見えません。そこにキリスト教精神は生きているでしょうか。
 このような世界において、キリスト者はどう生きるべきでしょうか。どこから希望を見出すことができましょうか。いろいろと頭を働かせますが、行き着くところはやっぱり「イエス・キリストの十字架」しかありませんでした。「十字架の信仰を貫く」ことで唯一の希望を見出せるのがキリスト者であり、十字架の上に立つことで真の平和と和解が実現できる世界へと変えられるのです。また、その十字架の愛と平和のメッセージを伝えることこそ「宣教」であって、教会は「十字架の福音」を宣べ伝えることを最優先にしていかなければならないのです。しかし、現実はどうだろうか。
 使徒パウロの言葉に耳を傾けましょう。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(Ⅰコリント118「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」(同2:2)「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。」(ガラテヤ614)…
 なるほど、今わたしたちに求められるのは、「十字架の言葉、十字架につけられたキリスト」にのみ希望を置き、十字架に私たちの生き方を合わせることです。世界のキリスト教会と一人一人のキリスト者が十字架をアクセサリとするのでなく、十字架の証人として、主イエスが十字架の上で流された血潮をキリスト者の生活の中で流すことです。日々、主イエスの十字架にすがり、十字架から目を逸らさないで生きる決心をするキリスト者、誰が、何を言おうとも、十字架だけを愛し十字架だけを誇る人として立ちますように…。ハレルヤ!

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