~ 子どもたちの信仰告白を喜ぶ ~
先週の礼拝では久しぶりに主の晩餐式を執り行いました。コロナが始まってから中止していた配餐を再開することを決め、コロナ時代においてみんなが参与できる主の晩餐式を工夫し執り行うことができたのです。10ヶ月ぶりに主の晩餐に加わった皆さんの喜ぶ姿を見ながら心から感謝せざるを得ませんでした。
そんな中、私にとって特別な感動を与えてくれたのが、小学生以下の子どもたちも主の晩餐に加わったことでした。今は大人の礼拝と子ども礼拝を分けて献げているため、子どもたちが主の晩餐を経験することはできませんでしたが、今年のクリスマス礼拝の時にバプテスマを予定している娘を主の晩餐の恵みに与らせ、また他の子どもたちにも良き刺激を与えるために全員参加させることにしたわけです。
まず、主の晩餐の意味を説明し、配餐をする前に子どもたちにイエス・キリストの十字架の愛の御業が自分自身のためであることを信じる人がいるかを聞いたところ、陸央くんが控えめではありましたが、小さく手を挙げ自分の信仰を公に表し、“自分も主の晩餐に与りたい”という意思を示してくれました。その陸央くんの信仰告白と姿に第二礼拝に集ったみんなは大きな喜びと感動を覚えましたね。もちろん、ご両親の方の喜びは比べられないものであったと思います。おそらく、陸央くんの目に映っていたご両親の日々の信仰姿勢と信仰告白に影響を受け、自然と信仰が芽生えたことでしょう。彼の心に信仰を与え、また信仰を表す勇気を与えられた聖霊を讃美します。
そうです。大人は子どもたちの信仰を大人の立場で判断し、信仰を表す場をなかなか与えない流れがあることも事実でしょう。しかし、ここで私たちが立ち止まって耳を傾けなければならない御言葉があります。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」(マタイ18:3)… 子どもたちの信仰がますます祝福され、大胆に主イエスへの信仰を表し救われる恵みを期待しつつ。シャローム!
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