2020年11月29日日曜日

2020.11.15 本日の宣教

   『 主イエスの喜びであるあなたへ 』フィリピの信徒への手紙41)

今世界を覆っている暗闇があります。人間の尊厳が価値なきものとされ、生きる意味を失ったまま死に向かうという流れが人々を捕らえています。とりわけコロナによる社会封鎖や関係の断絶、また経済的困窮によって、自分の存在の尊厳を奪われ、自ら命を絶ってしまう人が後を絶たない日本社会の現実です。ニュースを見ると、先月自殺した人が去年の同じ時期より39.9%増加したそうです。日本社会を覆っている暗闇の力をどうすればいいでしょうか。どうすれば人々の心を暗闇ではなく光に、死ではなく命に満たすことができるでしょうか。

本日与えられたフィリピの信徒への手紙は、喜びの手紙として知られています。この手紙には「喜び」という言葉が際立っています。しかし、パウロがこの喜びの手紙を書いていた場所は、たくさんの本が置かれた書斎でもなければ、安楽な椅子に座っての余裕のある生活の中でもありません。手紙を書いた場所はローマの牢でした。この世の価値観からすれば、暗闇であって、失望すべき場所でしょう。しかしパウロは牢という絶望の環境を喜びに変え、祝福の場所に変えることができたのです。パウロは殺されることもあり得る状況の中で、「喜びの書簡」とされている「フィリピの信徒への手紙」を書いたわけです。

パウロは同手紙129で次のように告白しています。“つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。(129)”・・・私たちはここでキリスト者の信仰では、救われた恵みを受けているだけでなく、キリストのために苦しむことも恵みとして与えられているという驚くべき事実を教えられ、パウロの喜びの源がどこにあるかを知ります。

それでは、パウロがこれほどまで喜ぶことができた理由はどこにあったのでしょうか。そのことをパウロは、フィリピ教会の信徒たちのゆえ、そしてフィリピ教会の信徒たちに蒔かれた福音の種をキリスト・イエスの日に完成してくださる真実な神への確信のゆえであると告白します。とりわけその喜びは「主によって」味わうことができ、実現できるものであると言います。すなわち、真の喜びは人が作り出すものではなく、イエス・キリストとの交わりによって得られる恵みであることを忘れてはなりません。・・・「だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。」(41

本日は子ども祝福式です。本日の御言葉の主語をパウロでなく主イエスに替えて読むことで私たちが抱くべきキリスト者のアイデンティティーを確認することができるでしょう。また、小泉町教会の子どもたちにも同じくしっかりと心に刻んでほしいと願っています。まず、自分自身が主イエスに愛され慕われている存在であること、そして主イエスに喜びとされ、冠とされていることです。そして何より、各自が日々の生活の基準を「主によってしっかり立つ」ことにあると心がけて歩むことでしょう。さらに、暗闇の中で自分の存在の尊厳を失っている隣人に神の愛とその存在の尊さを伝え、真の喜びの光をプレゼントできるような人に成長することを執り成していきましょう。ハレルヤ!

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