『 私が神様から頂いたもの 』(イザヤ書43章4節)
十年ほど前に大ヒットした「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という小説で有名になったP・F・ドラッカーが50歳前後で転職する事を奨めています。30年近く同じ仕事を続けると興味や意欲が低下すると説いています。私は図らずも50歳を過ぎて菓子製造業から農業へ転職しました。農業は実に興味深く、神様からの恵みに満ちています。そこで日頃、神様から頂いていると感じているものを思い付くままお話ししたいと思います。
農業は当然屋外の仕事が殆どです。今年はとても暑い夏でしたが、田んぼの中は思いのほか快適です。風がそよぐと暑さを忘れます。時々賛美歌が頭の中に鳴り響き、聖霊様に懐かれているようです。又、季節や時刻によって様々な色を見せる田園風景はとても美しく、今までに最も美しいと思ったのは、田植えが終わった後の田んぼの水面に映った薄い緑色に輝く景色で、思わず声を失いました。カメラで撮っても残せない神様から私へのプレゼントと感じました。作物は種や苗からあっという間に、大きく育ち神様の創造の業と恵みを覚えます。創世記3章に罪の裁きとして土を耕すことを命じられますが、文字通り体感しています。
私が神様から頂いたもので最も価値の有るものは「命」です。一般的にいう寿命が尽きたら死ぬという動物としての命ではなく、罪の為に神様から離れて死んでいた私の身代りとなって十字架にかかり、葬られ、三日目に甦り今も生きて執成していてくださる主イエスの故に頂いた「永遠の命」のことです。これは何物にも優ります。「人はたとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったらなんの得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。マタイ16:26」私は自分が愚かで価値の無いものであることを自覚しています。しかし神様は私を価値有るものとして赦し、愛し、命有るものとして下さいました。それと同時に周りに多くの愛すべき方々を置き、福音を伝える働きを与えて下さいます。
先週は本多英一郎牧師をお迎えして宣教60周年記念礼拝を持ち、大いに恵みを得ました。60年というのは人間なら還暦で暦が一巡して赤ちゃんに戻るという意味が有ります。小泉町教会が原点の志に燃え、一人でも多くの方に福音が伝えられ救われるように願います。
S. Y 執事
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