~ 信仰の証人たちを思う ~
「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。」
(ヘブライ12:1)
先週土曜日(10日)の夜、韓国の父が召天したとの連絡が届きました。実は9日から危篤という知らせをもらっていて、その日の朝には、映像で父と目と目を合わせることで地上における最後の挨拶を交わすことができました。享年88歳、北朝鮮出身で南北戦争の時、南の方に避難し、すぐさま兵士として戦争にも参加し、紆余曲折のある人生ではありましたが、最後まで誠実を尽くして歩み続けた父の人生でした。4人の子どもに恵まれ、人生の後半には母に導かれイエス様を信じてクリスチャンとして幸いな日々を過ごすことができました。病の中にあったため、臨終を共にすることができなかった母でしたが、“主よ、感謝します”と賛美をもって父を天に送ることができました。
本日は待ちに待った宣教60周年、教会組織20周年記念礼拝を神の家族と共に献げることができ、心より感謝いたします。先週は父の死のこともあって、私が小泉町教会に赴任してから天に凱旋された教会員の方々のことが頭に浮かんできました。“Y兄、M兄、N兄”の三兄弟です。それぞれ、小泉町教会の歴史において特別な存在として刻まれている兄弟たちです。まず一人は、重い障害を抱えながらも生きた礼拝者の模範を示され、もう一人は、極めて重い罪を犯したが、赦された罪人として生まれ変わった証人であって、最後の一人は、教籍番号一番として、教会の歴史の歩みの出発から召される時まで尊い足跡を刻まれました。
愛する神の家族の皆さん、宣教60周年を記念し礼拝するこの時、先に天の御国に凱旋された証人の群れが私たちのために執り成し、エールを送っていることを覚えつつ、信仰の競走を忍耐強く走り抜きましょう。シャローム!
0 件のコメント:
コメントを投稿