2020年9月23日水曜日

2020.9.20 本日の宣教

 『 主の笑いと怒り、そして幸い 』(詩編2:112)

詩編2編の詩人は、世界の愚かな王たちをご覧になりながらあざ笑われる神を描いています。また詩人は目に見える地上の世界がすべてでなく、むしろ神が統治される神の国が存在することを教えてくれます。まさに私たちの生きている世界は弱肉強食の論理が支配する世界、力ある国が世界を支配するような王となる世界、経済力と軍事力の数字が真理の座を占めている世界です。

しかし、聖書が教える世界は、経済力や軍事力のような目に見える基準ではなく、信仰によって見える神の国を基準としているか否かが大切です。この世のどんな勢力も神の統治に挑戦することはできません。なぜならば、天地万物を造られた神が、今も世界を御心に従って治められるからです。しかし、世界の王たちは神の支配を認めず、自分たちのもっている力が世界を支配していると錯覚している現状です。

詩編2編はイスラエルの新しい王が立てられる時に朗読されていた詩でした。経験の浅い新しい王が立てられる度ごとに、周辺の国々は虎視眈々と狙っていました。そのことを詩人は、「なにゆえ、国々は騒ぎ立ち、人々はむなしく声をあげるのか。なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか」(212と歌っているのです。そして詩人は、そのような高慢な国々の支配者たちに向かって、「天を王座とする方は笑い、主は彼らを嘲る」(4節)と皮肉を歌にしているのです。そして詩人は、真の神自ら、国々の支配者たちに向けて、笑いを憤りと怒りに変え裁かれることを宣言されます。

そうです。世界のどの国も、どの勢力も神の支配と統治に逆らうことはできません。神は御心のままにメシア、真の王を立てられたように、今もなお神の子どもたちと神の教会を立てられ、ご計画を成し遂げられます。たとえ神の計画を妨げようとするどのような勢力に対しても、あざ笑われ、憤りと怒りをもって裁かれることを宣言されるのです。その御言葉を信頼しつつ、私たちはただこの世の王や支配者たちに心を奪われるのでなく、真の支配者であり統治者なる神を見上げ、神の国がいかに素晴らしく建てられていくかを信頼し希望を抱かなければなりません。

神は、神の時に御子イエス・キリストを通して人類を救われ、またサタンと罪を裁かれる計画を立てられました。そして、主なる神は御子との交わりを通して、真の平和と安息から来る幸いを得るようにと勧めておられます。「子に口づけせよ。…いかに幸いなことか、主を避けどころとする人はすべて。」(12)・・・そうです。私たちの幸いは、御子イエス・キリストとの交わりにのみあることを覚えましょう。御子に日々口づけするような親密な交わりに生きるキリスト者に主は勝利を与えられ、神の栄光を現されるのです。反対に、地上の国々の支配者たちに目と心を奪われ右往左往してしまっては、平安も幸いも得ることはできません。

日々主を避けどころとし、主に口づけしながら、神の前に謙遜に、また、置かれた場所で誠実を尽くす人を主は喜ばれ、その人を通して神の御国を成し遂げて行かれるのです。シャローム!

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