『 私たちの信仰告白 』~神の右におられる主イエス~
(ローマの信徒への手紙8:31~34)
私たちのために十字架の上で苦しみを受け死なれた主イエスは、陰府にまでくだって行かれ、その三日目に墓より復活されました。そして復活された主イエスは40日間弟子たちと共に過ごされながら神の国について教えられた後、弟子たちが見守る中、雲に乗って天に昇って行かれたことを前回まで分かち合いました。…そして本日は、天に昇られたキリストが、父なる神の右に座しておられるという信仰告白について、分かち合いたいと思います。新約聖書の中には、主イエス・キリストが天に昇られてから、天の父の右に座しておられるということについて、たくさんの個所で記していますし、そのことが、初代教会の大切な信仰告白とされていたことが分かります。…
聖書の中で、「右」とは、「栄光、権威、力」を表わす時によく使われています。また、「座す」とは、ヘブライ的意味で、“その場所を支配し所有する”という表現として用いられています。すなわち、「主イエスが神の右に座しておられる」とは、その場所を、主イエスが栄光と権威と力をもって、支配しておられることを意味するのです。キリスト賛歌にもあるように、主イエスは、父なる神に任せられた十字架と復活の働きを成し遂げられた後、最高の座に挙げられ、すべてを支配され、栄光を受け取っておられるのです。
その中でも、本日の御言葉の中で、使徒パウロは、主イエスが、神の右に座しておられ、栄光のうちに世界を支配しておられることに止まらず、私たち神の子どもたちのために執り成され、助けておられることを教えているのです。
「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。」(34節)
…私たちが生きている今の世界は、私たちの思いや期待の通りには流れていかない厳しい現実にあります。しかし主イエスは父なる神の右に座して、時間と空間を越え、世界中のキリスト者一人一人のために執り成し助けておられます。主イエスは、あなたと私を愛するゆえ、十字架の上で罪人たちの代わりに苦しみを受け、命までも惜しまず与えてくださった。その命を捨てる愛をもって、今も主イエスは神の右に座し、私たち一人一人のために執り成してくださり、時宜にかなった助けを与えてくださるのです。この御言葉の確かな約束と事実、これほど素晴らしい慰めのメッセージがあるでしょうか。
新型コロナウイルス、地球温暖化による自然災害、経済的困難など、様々な苦しみに立たされている私たちですが、主イエスは天の御国の神の右に座られ、今私たちを取り囲んでいる状況、そこから経験している苦しみと痛み悲しみ、また、心配と不安などをすべて抱きしめられながら、執り成してくださっています。たとえ、私たちが主イエス様を忘れてしまっても、主イエスは決して忘れられず、神の子どもたちを助け、時宜にかなった恵みで満たされることでしょう。ぜひ、声高らかに告白しましょう。「主イエスは、全能の父なる神の右に座しておられ、私たちのために執り成してくださいます」と。ハレルヤ!
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