『 キリストの手足となって 』(Ⅰコリントの信徒への手紙12:26~27)
世界が暗闇に包まれています。新型コロナウイルスが猛威を振るう一方、世界各地における自然災害が後を絶たない状況です。このような時に求められるものこそ、希望の光です。聖書は真の光こそ、救い主なるイエス・キリストであると告げます。誰でもイエス・キリストのうちにあるならば、その人を覆っていた暗闇は逃げ去り、光の子として歩むことができるのです。そして、主イエス様は私たち神の子どもたちに「あなた方は世の光である」と使命を新たにしてくださいます。
慌ただしく日々を過ごしていくうちに、もう今年の半分が終わり、本日から新たな半分を歩むことになります。ぜひ、これからの半分の歩みが、インマヌエルの主イエスの十字架の恵みにあずかりながら、復活の主と共に歩む希望の旅となりますように…。
とりわけ本日はしばらく休んでいた主の晩餐式を執り行います。主イエスは主の晩餐に与る神の家族お一人お一人に、“あなた方はわたしの血と肉によって一つとされたわたしの体である。一人一人がわたしの体の各部分として強くされ、健康な体を作り上げなさい。そして、暗闇の中にある人々に大切に福音を宣べ伝えなさい。”と語られることでしょう。
主イエスは、神の独り子、救い主として3年間の公の生涯を通して、主イエスに出会う人々を癒され、驚くべき御業を次々と成し遂げられました。一時も休むことなく、暗闇の中で死んでいく者たちに光を照らし、命を与えてくださいました。主イエスの足は常に心貧しい者たちのところに向かわれ、主イエスの両手は病んでいる者、疲れている者、貧しい者たちに差し伸べられ、抱きしめてくださいました。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられた。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順であった」(フィリピ2:6-8)と聖書は主イエスのことを紹介しています。
その十字架の主イエスは、新型コロナウイルスに覆われ苦しんでいる世界に出て行く者として、小泉町教会の一人一人に語りかけておられます。“あなたがたはわたしの体だ。あなたがたはわたしの手となり、足とならなければならない。あなたがたを通してわたしは生きるのだ”と。“あなたの手足で傍らにいる隣人を慰めることができる。あなたの手足で神のラブレターを届けることができる。お腹を空かせている人に温かい食事を食べさせることができる。また、あなたの手足で遠く離れている人を訪ね励ますことができるし、両手を合わせて祈ることができるのだ。
そうです。「キリストの手足となる」という、なんという素晴らしい生き方でしょうか。願わくは、小泉町教会の2020年の残りの半分の歩みが、主イエスの体の各部分として忠実に生きるお一人一人によって救いの豊かな実を結び、父なる神の喜びとなりますように…。ハレルヤ!
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