2020年7月14日火曜日

2020.6.14 小さな泉の恵み


本年2月、コロナで休みになる直前の教会学校で、「聖書のイスラエル人の時間感覚」というのを学びました。聖書のイスラエル人にとって、時の流れは「将来のものが近づいてくる」のではなく「過去のものが遠ざかって行く」感覚だと言われているそうです。今日のことが昨日になり、昨日のことが一昨日になり...というのが、「時間が経って行く」こと。
 ちょうど、ボートを漕ぐ感覚だそうです。進行方向に背を向け、今近くにある景色が遠ざかっていくのを眺めながら、進んでいくのです。ということは、詩編や預言者の祈りの中で繰り返し語られる葦の海の奇跡、人のそむき、神のさばきと赦しは、彼らがときどき振り返って取り戻すのではなく、常に見つめ続けているものなのです。背中は神の御手にあずけて、人生の中で神がくださる恵みがひとつまたひとつ視界に増えて行くのを、常に見つめながら生きるのです。
 これを想像するたび、永遠というものが感じられるような気がして「ハァ〜」と思います。この学びの場にいた6名ほどの全員が「ハァ〜」と言い、わたしがこれを話した相手も次々と「ハァ〜」になりました。みなさんはどうでしょう。
                                     S.M 姉
                 

0 件のコメント:

コメントを投稿