「わが名を畏れるあなたがたには義の太陽が昇る。その翼には癒やしがある。」(マラキ3:20)
新型コロナウィルスが全世界を恐怖に陥れています。まさに「感染症には国境はない」という言葉を認めざるを得ない状況です。数えられない人が感染し、命を落とし、世界経済もマヒしてしまったかのような現状です。世界の国々は自国民を守るために入国制限を打ち出したり、人が多く集まる行事やイベントを中止させたりしています。また、キリスト教会も礼拝を休み、多くの教会がインターネットで礼拝をささげています。各国の首脳たちが言うように、第2次世界大戦以降、いやそれよりもさらに厳しい戦いに挑んでいるような日々です。しかもこの戦いがいつ終わるかもわからないだけに、人々の不安はいや増しているのでしょう。
それでは、キリスト者はこのような時にどうあるべきでしょうか。人類の歴史において全世界的な感染症との闘いは何度も繰り返されてきました。とりわけルマルティンルターが生きていた中世ヨーロッパにおいて黒死病と呼ばれていたペストは何度もヨーロッパを襲いました。人口のほぼ半分の人がペストで死んでいきました。そこでルターは、「死に至る病ペストから逃げることは許されるか」という手紙を書きました。
手紙の中でルターは、「他者へ奉仕する者は誰でも、職業上逃げない責務がある」ことを強調します。「彼らは死の危険を前にしても、しっかりと踏み留まらなければならない」と書きます。また、ルターは病人を世話することを医者だけに任せてはならないと言います。神を愛するということは人を愛するということで現れるからです。すなわち、感染症が広がる時には、自分の能力を尽くして感染症を防がなければならないことを強調し、その中でも検疫と診察のような医療活動と清潔な生活を勧めました。彼は、キリスト者が「ただ信仰」という言葉を語りながら感染症を軽んじることは無知であると考えていたのです。だからと言って、感染症で死んでいく隣人を救うことは一般市民の義務ではないこと、むしろその場から離れることも教えました。…ルターは感染症にかかることを恐れませんでした。なぜならば、キリスト者にとって苦しみと死という言葉が終わりでないことを知っていたからです。…受難節を過ごす私たちキリスト者への主イエスの御声をしっかりと心に受け止めながら、知恵ある者として最善の道を選んで歩みましょう。このような試練の時こそ、キリスト者が執り成し祈る時、恵みの時なのです。シャローム!
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