2020年3月2日月曜日

2020.2.23 本日の宣教

『 御言葉を行う者の幸い 』     ヤコブの手紙1:2225) 

  私達は主の哀れみによって「救い」を与えられました。永遠の命。それは決して取り去られることない神様からの希望の約束です。私達はそのことを喜び他の方にも知って頂きたいと伝道を試みてきました。しかし少なくとも私自身においては伝道について深く学んだことが有りませんでした。そこで福音伝道について考え、思いを分かち会いたいと思います。

 これまで救いの条件に行いは全く必要無いと度々聞いてきました。私達が誇ることかないためです。しかし一度救いを得たならば御言葉を行うことは大切です。 このところ幾つかの事柄を通じて「行う」事による幸いを与えられました。 その中で「路傍伝道」「小泉町教会オリジナル讃美歌歌詞募集」「子育て」についてお話します。
 1月の路傍伝道は天気は晴れていましたが、風が吹いて寒い日でした。イベントが有り富山駅北口にはそれなりに人通りがありました。皆寒そうに足早に通り過ぎる中、親子四人の家族が来られましたので、お父さんに聖書を差し出しましが、断られました。残念に思っているとお母さんに手を引かれた小学生程のお嬢さんが後ろを振り返り聖書を受け取ってくれました。私はその瞬間大いに主の励ましを得ました。私が初めて聖書を手にしたのは丁度彼女の歳頃に貰ったギデオン聖書です。それは今でも持っています。彼女の手にある御言葉の種が花開き実を結びご家族に祝福がもたらされることを祈らずにはいられません。 
  宣教60周年を記念してオリジナル讃美歌を作ることになりました。SE姉を中心に作曲はK姉が担当され、歌詞を教会の全ての人から募っています。KA姉の提案で曲に合わせた歌詞専用原稿用紙が配られました。これが無ければ最低一人一作品と言われても私のような音楽の素養の無いものに作詞など考えもおよびません。S姉をはじめ賜物豊な方々にお任せするだけだったでしょう。とりあえず第一回締め切りには間に合わせましたが、私のものが全く使われなくても良いと思っています。作詞にあたって主と語らい恵みの時を持ち既に幸いを得ているからです。
  この春、私の次男が大学に進学します。 彼の小学生時代は大変でした。学校でこんなこと出来て当然ということが出来ないでいました。先生からはやる気のない怠け者の上に言うことを聞かない強情者のレッテルを貼られ最低の落ちこぼれとして過ごしました。南砺市礼拝では毎回閔先生に次男の相談を繰り返していました。御言葉を学び祈る中で、彼に主の働きかけがありました。ある日中学校から呼び出しがあり「学校ではあらゆる手を尽くしたが、次男には発達障害の疑いがあるので、専門医に受診して欲しい」ということでした。祈り、彼に御言葉を伝え、何度も次男を医者に連れていきました。妻はまだ真の神様を知りませんが、次男が有用な者に変わることを信じて疑いませんでした。そうこうしている内に成績が上がりかつての姿から想像も出来ないほど明るく変貌を遂げました。
 神様はこの世においては、一見辛そうに思えることにも共に歩み、励ましを与え乗り越えた時の喜びと祝福を備えて下さるお方です。この世でさえ数え切れない恵みが見出だせるのですから、来るべき世においては更に豊なことは想像に難く有りません。神様は一人も滅びないことを望んでおられます。伝道は主の望み、喜びです。小泉町教会は神が共に働かれる教会と呼ばれるように伝道に励みましょう。神の御心を行う者に祝福が有りますように。主の栄光が永遠に有りますように。
                                                                                         S.Y.執事

0 件のコメント:

コメントを投稿