聖書は神が偉大なる救いの歴史を成し遂げて行かれる大いなるドラマで満ちています。そして、その救いの歴史の中心にはいつも神に用いられる人が存在します。神は神の人たちを救いのドラマの主人公として選んでくださいます。堕落していく人間世界の中で、星のように輝く敬虔なクリスチャンに注目しておられます。その時、神に用いられる神の人がもっている特徴こそ、「従順」であります。
神が、神の似姿で人間を造られることで天地創造を終えられた時、神は「極めて良かった」という一言で創造の喜びと感動を表わされました。しかし、アダムの罪から始まった人間社会はますます罪を極め、世界は神の前に堕落し、不法に満ちるようになりました。神の栄光を失ってしまった人間社会に対して、「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。」(創世記6:5~6)と聖書は記しています。
そこで神は、堕落した世界を新たにするための計画を立てられます。その計画こそ、洪水による裁きでありました。そのため神に選ばれた人がノアでした。神は、ノアに「箱舟」を作るようにと命じられます。ただ作るようにと言われただけでなく、箱舟を作るための方法も教えられます。箱舟の木材から部屋をいくつ作るべきか、その長さと幅と、高さなど、事細かく命じられることが分かります。聖書はその時のノアのことを次のように表現します。「ノアが、すべて神が命じられた通りに果たした」(22節)…実際、ノアは神が命じられること、小さいことから大きいことまでのすべてを命じられた通りに果たしたと記しています。この全き従順こそ、神の人が備えるべき生き方です。
神を信じる神の人であれば、誰もが神に従うことを心がけながら歩むでしょう。しかし、その従順がノアのように小さなことまで、全き従順を生きるか否かが大切なのです。私たちの従順も、大体のことには従いますが、ある時点で、あきれてしまったり、個人的な選びであきらめたりする場合が、よくあるのではないでしょうか。しかし、神の命じられる御言葉には、適当に扱ってもいいものはないことを覚えましょう。
イエス様も父なる神の御言葉に対して、ノアと同じ姿勢をとっておられました。フィリピ2:6~8です。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」…ノアや主イエス様のような従順を通して、主は御業を成していかれるのです。本日、2020年度のキリストの体なる教会の、奉仕の先頭に立つべき執事を選ぶために、執事選挙が告示されました。
ぜひ、神の命じられるみ言葉に従順である働き人が選ばれるように、執り成し祈りましょう。
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