2020年1月22日水曜日

2020.1.19 本日の宣教

わたしは主を愛する 』  (詩編11612、Ⅰヨハネの手紙4910)

詩人は、「わたしは主を愛する」という主への愛の告白をもって始めます。ここで「愛する」と訳されたアーハヴは、「選びの愛」の意味で、主にイスラエルが神の民として無条件的に選ばれた神の選びの愛を表す言葉です。ですから、多くの場合、神が神の民に愛を語られるときに使われますが、この詩編では珍しく人の方から神に向けられて告白されています。

詩人は、その神への愛の理由について早速証しします。「主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。生涯、わたしは主を呼ぼう。」と。まさに詩人は、死の危険に落とされたような苦難と悲しみにありました。しかし、愛する主が、詩人の嘆き祈る声を聞いてくださった。ただ一度のことでなく、生涯にかけて絶えずそうであったことを歌っているのです。

神の愛は永遠の昔から今まで、まったく変わっていません。しかも、神との交わりは生き生きと体験するものであって、その交わりの中心にあるのが、苦難の中でささげる祈りでした。神は神の子どもたちのすべての祈りを聞かれ、いつでもその祈りに憐れみと恵みをもって応えてくださる愛なるお方。神は、祈り手を喜んで受け入れ、祝福に満たし、恵みで満たしてくださいます。本日の詩人は、その神の愛と恵みに応えて神を愛し、神に祈り求めることを決心します。それが、詩人の生涯において、ただ神だけを愛し仕え、神にだけ祈るという誓いとして表れているのです。

そうです。詩人の神への愛は、神が彼を先に愛されたことに対する応答として湧き上がっていることが分かります。すなわち、「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(Ⅰヨハネの手紙410というヨハネの言葉こそ、私たちが神を愛せざるを得ない理由となるのです。詩編116編の詩人は人生を通じて何度も神の一方的な愛を受けていましたし、その愛に対して、彼にできる愛をもって神に応答しているのです。
 2020年を始めるこの時、あなたは神に「私はあなたを愛します」と告白していますか。その愛はどのような形として現れるでしょうか。愛する神の家族の皆さん、私たちが主にどのように愛されているのかを知ってこそ、主を愛することができることを覚えましょう。また、主にどのように愛されているのかを知るなら、隣人をどのように愛するのかを知ることもできるはずです。私たちが手にしている聖書は、「神の私たちへの愛の物語」であると同時に、「私からの神への愛の物語」であることも忘れてはなりません。いつも神の愛を求め続ける者から、私たちの愛を求めておられる神を愛する者へと変えられればいかに幸いなことでしょうか。今年、私たちのすべてが神への愛の証しであり、愛の讃歌となりますように・・・。ハレルヤ!

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