2020年1月22日水曜日

2020.1.19 小さな泉の恵み



~純真な信頼~

「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(ルカ18:17)

私は受洗以来、新改訳、口語訳を中心に聖書を学んできました。こちらへ来て初めて新共同訳をじっくり読むようになり、言葉の違いから新鮮な発見をするようになりました。例えば、このルカ18:1517の、子供達がイエスに触れて頂くために連れて来られる場面もそのひとつです。新改訳、口語訳では、子供達を幼子(おさなご)と訳していますが、新共同訳では乳飲み子と訳しています。
長年、幼子という言葉からここで登場する子供達を37歳とイメージしてきた私は、乳飲み子という言葉に軽い衝撃を覚えました。幼子と乳飲み子では、保護者への依存度がまるで違うからです。幼子は危なっかしいながらも自らの足で歩き、たどたどしくとも自らの言葉を発します。しかし乳飲み子は、食事も排泄も入浴も意思の伝達も移動も、全て保護者に委ねなければ生きていけない存在です。そんな、生活の全領域を委ねるほどの純真な信頼を、神様に対して持てる人こそが、神の国に入ることができるとイエスは教えておられます。神の国は、そのような者たちのものだと。翻って自分の信仰生活を振り返ってみますと、いかに神様に対して部分的にしか心を開いてこなかったかということがよく分かります。
全てをご存知の神様に対して、自らの弱さ醜さを隠そうとするとは、何と愚かなことでしょう。乳飲み子を呼び寄せ、祝福を与え、神の国へと導いてくださる神様。今回この箇所を読み直すことで、私はもっともっとたくさんのことを神様にお話ししても良いのだと、心から実感することが出来ました。感謝いたします。アーメン。
                                            A.T.姉

0 件のコメント:

コメントを投稿