2020年1月13日月曜日

2020.1.12. 本日の宣教

人は何によって生きるか 』 (マタイによる福音書62534)

今日の聖書箇所は、山上の説教と言われる聖書の中で最も有名で大切にされている内容です。イエス様は、当時の人々の価値観、つまり「人は何によって生きるか」を、山上の説教を通して示しています。

主イエスは、本日の御言葉を通して6回も「思い悩むな」と命じられます。ここでの「思い悩む」とは、今日でないことに心を奪われ、右往左往する心の状態を表します。まさしく人は、人生を通じて思い煩う日々を過ごします。とりわけ食べること、飲むこと、着ること、つまり、生きることへの不安と心配がその中心を占め、思い煩ってしまうのです。そのような弱い私たちに向かって主イエスは「思い煩うことをやめなさい!」と命じられているのです。私たちが思い煩わなくていい理由こそ、「命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だから」です。そこで、主イエスは生き方の提案として、「空の鳥と野の花」を挙げられます。そして、「よく見なさい。…注意してみなさい」と勧められます。ここで「見る」とは、じっと観察することです。「空の鳥たちも、野の花も、創造者なる神の御手の中で守られ養われていることを自分の目をもって確かめ、揺らぐことなく信じなさい」という教えなのです。

そこで私たちに必要とされることこそ、“まず、「神の国と神の義」を求めて生きることだ!”と示しておられる。神の国とは、死んでいく国のことではなく、「神が統治される国、神が主導権を握っておられる生活と領域」、つまり、「神が生きておられ、神が導かれ支配される時間と空間」を信仰の中に迎え入れることです。そしてそれを心から、また日々の生活から信じ求めて生きることです。

それでは、神の国を求めるということはどのようなことでしょうか。それこそ、神の愛に生きることです。神が罪人を救うため人間の体をもって生まれたこと、また、十字架に示される神の命をかけた愛を日々いただき、その愛に感動し、その愛に根を下ろし、その愛に自分のすべての生活を置くことです。その愛が自分のすべてを支配するようにゆだねて生きることです。・・・その神の愛の影響力が私たちを捕らえ、その影響力が私たちの周りへと、富山の町と日本の国、そして世界へと拡がっていくことです。そのために私たちは召し出され、用いられるのです。聖書は、永遠に変わることのない神の愛、また命をかけて愛し続ける神の私たち人への壮大なる愛の物語です。
 2020年の歩みを始めようとする神の家族に向けて、愛なる主イエスは「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(34節)と勧められます。明日のことは私たちの時間でなく、神の御手にある時間のことです。私たちが生きる時間は「今」と「今日」しかありません。その「今」、「今日」という時間を「何によって生きるか」心掛けながら歩みたいものです。ハレルヤ!

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