『ピラトのもとで苦しみを受けられたイエス』 (ルカによる福音書23:13~25)
使徒信条の中には、主イエス以外に、二人の名前が登場します。主イエスの母マリア、そして十字架刑を下したピラトです。「おとめマリア」はイエスの誕生に直接かかわった女、そして「ポンティオ・ピラト」はイエスの死に最終的な役割を負わされた男、この二人は、人となられた主イエスの生と死という、大切な出来事に深く関わっています。 興味深いことは、使徒信条は、イエスの処女降誕による受肉の信仰告白の後、すぐに受難の事柄に移っているということです。その間の30年余の生涯については触れていません。なぜでしょうか。もちろん、主イエスの全生涯について触れることは素晴らしいことでしょう。しかし、神の独り子、救い主としての働きの中心の御業こそ、十字架による贖いと救いの業にあるでしょう。だからでしょうか。使徒信条では、「苦しみを受け」という言葉によって、キリストの地上での全生涯を表わそうとしたのではないかと思います。主イエスは確かに十字架刑で苦しみを受けられました。しかし彼の苦しみは、十字架という人生の終わりの時だけではありませんでした。飼い葉桶での誕生から、エジプトへの避難、父ヨセフを亡くしてから大工として家を支えていた時期、また荒野での誘惑、…「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」(マタイ8:20)と言われたことを思うと、主イエスの全生涯が受難であって、それが「ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け」という言葉に含まれていると言えましょう。
さて、ポンティオ・ピラトは、主イエスの公生涯当時ローマ帝国の支配下にあったパレスチナに、ローマ皇帝から派遣されていた総督でした。使徒信条はこのピラトの決定によって、主イエスが十字架につけられたことを明かしています。すなわち、総督ピラトの名前を出すことによって、主イエスの生涯と十字架が、確かな「歴史的」な出来事であって、ただの信仰の領域にとどめようとする試みからではなく確かな歴史性をもたらしてくれる役割を果たしています。 またピラトは、イエスの無罪を主張しつづけ、釈放のために働きかけましたが、結果としては十字架刑の判決を下すことになります。彼は、宗教指導者たちとそれに影響された群衆の『十字架につけろ』という執拗な要求に妥協してしまったのです。無罪のイエスに十字架刑を下しながら、自分には何の責任もないと手を洗い、責任逃れをしようとするピラトを、初代教会の使徒たちは、主イエスを十字架につけた罪人の代表としているのです。「事実、この都でポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。そして、実現するようにと御手と御心によってあらかじめ定められていたことを、すべて行ったのです。」(使徒4:27~28)…罪なきお方が、有罪者のごとく扱われ十字架刑にされた、ここに、身代わりとして神から裁かれた贖いの主の姿を見ることができます。
イエスが無罪であることを知っていながら、ユダヤ人の要求や政治的な益を優先し、十字架刑に引き渡したピラト。彼の名は使徒信条に記され、主イエスに苦しみを与え十字架で殺した人として世々覚えられるようになりました。そのピラトのように、今日も主イエスを様々な苦難や理由のゆえに十字架に引き渡してしまう人々がいます。その中に私とあなたはいませんか。今、ピラトは私たちに尋ねているかもしれません。“あなたはどっちを選ぶ?”と。
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