2019年11月12日火曜日

2019.10.27 本日の宣教


『 バプテスマを考える 』 ローマの信徒への手紙6:114)
「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。」(6:8)  
 “キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなる”という信仰告白は、キリスト教の核心であります。 これは、終末(死後)における復活に限定されず、今、この世における生において、キリストの復活の命に与ることの確かさを示す言葉です。このことを象徴的に表すのが、バプテスマ式なのです。バプテスマとは、ギリシャ語で、「全身を水に浸す、沈める」という意味です。これは、自己中心に生きていた古い自分が、十字架にかけられたキリストと共に死んで葬られ、死に打ち勝ち復活されたキリストと共に新しくされ、新しい命に生きることを証しするキリスト教会における大切な礼典です。ですから、バプテスマとは、厳密に言えばその人の葬儀であって、同時に復活祭となるのです。 
 聖書は、人の誕生には二種類あり、死にも二種類あると教えます。まず、人間の誕生には、母の胎から、赤ん坊として生まれるのが“、第一の誕生”です。しかし、この生命には限りがあります。人はある年齢までは成長していきますが、それ以後は次第に老化し、ついには死に至るのです。そして、“第二の誕生”は、神のお与えになる「永遠の命」への誕生、新しい霊的身分による誕生のことです。すなわち、「永遠の命」と呼ばれる、朽ちない、無限の生命が存在するのです。 
 聖書はまた、死にも二種類あると述べています。“第一の死”は、肉体と魂の分離です。肉体の機能が停止し、魂が離れ去る時、それが第一の死です(創世35:18)。“第二の死”は、生命の根源なる、神の恵みからの完全な断絶を意味します。(ヨハネ黙示録201115)つまり、聖書が教える誕生と死において、二度生まれた者は、二度死ぬことはありません。二度生まれた者は、一度死ぬのです。そして、一度生まれた者は、二度死ぬことになるのです。 
 イエス・キリストの十字架の死によって罪赦されたことを信じ、神の子という新しい身分となった者は、罪の奴隷として生きてきた過去の自分を恥ずかしく思い、新しく生まれたものとして、神の義と神の栄光のために、自分自身を献げる人生を選ぶことになります。これは、誰かによる強制でも、義務でもありません。神の一方的な恵みが、その人の心と魂を感動で満たし、聖霊が神の救いの御業へ 
導くことによって起きる出来事であるからです。 
 今、あなたを動かしている力は何でしょうか。今日もわたしたちは、あれこれと成すべき事、決心すべきことで溢れています。しかし、何よりもまず、キリストと共に死に、キリスト共に生きることを心がけ、すべてのことにおいて、神の子どもとしてふさわしい歩みを選び、神の栄光を表わしながら生きることでしょう。ハレルヤ!





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