2019年11月12日火曜日

2019.10.20 本日の宣教


嘆きの谷が命の泉に 』(詩編8418) 
 「いかに幸いなことでしょう、あなたによって勇気を出し心に広い道を見ている人は。嘆きの谷を通るときも、 そこを泉とするでしょう。」(詩編846-7
 イスラエルの歴史は、涙と苦難の歴史であると言えましょう。神に選ばれた民、祝福の民としての誇りをもっていながらも、苦難からは逃れられませんでした。詩編84編は、国が滅ぼされ、捕虜として連れ去られた異国の地でコラの子たちが歌った歌が、「シオンの歌」です。コラの子たちは、神を礼拝するために選ばれたレビ族で、神殿で讃美の務めを担っていました。神の都シオンを夢見ていたコラの子たちは、詩を書き、巡礼の旅に出かけ、夢に描いていたエルサレム神殿を上りながら、感動の涙と喜びの讃美、神様との交わりを歌にしたのです。 詩人は、神を「万軍の主、わたしの王、わたしの神」と呼びます。この告白には、神だけが自分をこの苦しい状況から解放し、自由にすることのできるお方であるという信仰が込められています。詩人の言葉の中で、目を引く表現は、「鳥、またつばめ」をうらやむという告白でしょう。神の民にとって、神の宮は神が臨在する場所であって、生きている神と交わる家です。そのことをよく知っていた詩人は、神の宮を慕い、その家にいつまでも住みたいという望みを鳥たちにたとえて証ししているのです。その通り、主の宮に進み出、神に礼拝する者は幸いです。 しかし、神の宮を愛し、神を礼拝する人も、時には「嘆きの谷」を通るような経験をします。神を信じているから、また、神の宮を愛するから苦しみや、嘆きの場面がないことはありません。「嘆きの谷」とは、原語は「ハバハの谷」で、ハバハとは「涙」という意味です。すなわち嘆きの涙を流しながら通る谷になります。実際には、シオンの神の家に行く途中にある谷を指すと言われています。神を礼拝するために旅する巡礼者に、渇きと苦しみを与える嘆きの涙の状況が訪れます。しかし神は、その渇いた「嘆きの谷」さえも「泉の湧き出る場所」に変えてくださるのです。そうです。神を愛し、神を礼拝する幸いに生きる人たちは、苦しい嘆きの谷を通るような状況であっても、神からの泉を見出し、いよいよ力を増して礼拝の場に進み出るようになるのです。
私たちも避けられない苦難に遭う時があります。望まなくても、嘆きや悲しみを抱いたまま歩み続けなければならないことがあります。しかし、私たちは詩人の言葉のように、「嘆きの谷を通るときも、そこを泉とする」神の恵みを味わうことになるでしょう。どんな苦難の中にあっても、神に信頼し神を礼拝する人は、どのような苦難をも受け止める力、万事を益に変える神の約束と働きを信じ、喜んで待ち望むことができるはずです。今こそ、大変な災害と苦難に遭っている人を神の宮に導き、彼らの涙を拭い取ってくださり、命と希望の泉を与えてくださる神を紹介すべき時でしょう。嘆きの涙を流す谷から潤いの泉が湧き出る真の幸いを、伝えてあげたいものです。ハレルヤ!




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