「彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」(エレミヤ22:3)
先日、「楽しい聖書の学び」で2004年作、映画「パッション」を鑑賞しました。ヘブライ人への手紙を学んでいることもあって、偉大なる大祭司であり、神の小羊であるイエス・キリストの姿を、映画パッションを通してもう一度分かち合いたいという思いがあったからです。
「パッション」が上映されて、もう15年前も経っているし、数回見ていた私でしたが、イエス・キリストが受けられたむち打ちの刑のシーンや十字架を背負って歩くシーン、また十字架に釘付けにされるシーンのあまりの酷さに、再び心臓が縮むような思いに包まれました。一緒にご覧になっていた10人ほどの楽しい聖書の学びのメンバの皆さんは、これでもか、これでもかと描き出される十字架刑の厳しいシーンに衝撃を受け、涙を流していました。そして、主イエスの目がとどまるところに映し出される回想のシーンに大きな感動を覚えました。
映画を観終わって一週間が経った先週の学び会の時、お一人お一人の感想を分かち合う時をもちました。映画を始めて観た方も、2度観た方も同様に語られる言葉こそ、主イエスの十字架の恵みと愛の偉大さ、また自分自身の罪深さへの自覚でした。・・・“やっぱり十字架だ!十字架こそ私の信仰の原点であり、感動である!”
神の家族の皆さん、最近の生活の中で、疲れを覚えていませんか。無味乾燥な日々を過ごしていませんか。主イエスの十字架に目を向け、十字架の前に近づきましょう。十字架で流された主イエスの血潮と涙が、傷ついた御手が、あなたを癒し、慰め、人知を超えた感動と力をくださるはずです。主イエスの十字架を賛美します。
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