2019年8月20日火曜日

2019.7.14 本日の宣教

『オネシモをよろしく! 』   (フィレモンへの手紙816節) 

パウロはフィレモンへの短い手紙の最初に、かなり長い部分を挨拶と感謝の言葉に割いています。なぜならば、それだけこの後語り始めようとする内容が慎重の上にも慎重を期して伝えるべきものだったからです。その話の内容こそ、「オネシモ」という一人の逃亡奴隷のことでした。

「監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。」(10節)…オネシモは主人のフィレモンから逃亡した奴隷でした。恐らく多くの金を盗んでローマに逃げたものと思われます。ところが、そのオネシモがどういう訳かローマの獄中のパウロに出会い、福音を信じ新しい人に変えられたのです。その後、オネシモはしばらくの間、パウロに仕えながら忠実な働き人に変わっていきます。パウロはオネシモがずっと共にいて働きに加わってほしかったのですが、法律上、許されないことでした。そこでパウロはフィレモンに手紙を書いているわけです。

「オネシモ」とは、もともと「有益な、役に立つ」という意味の名前です。しかし、以前はその名前とは裏腹に「無益な者」として生きていました。無益どころか、周りの人に多大な損害を負わせるような存在でした。しかしパウロはオネシモが名前通り「有益で役立つ者」に変わったことを宣言します。そしてぜひ、主の愛の中で彼を受け入れてほしいとフィレモンに訴えているのです。しかし、フィレモンにとってそれほど簡単に赦すことではなかったことでしょう。

「わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。」(12節)…ここで「心」と訳している言葉はもともと「心臓」を指す言葉で、直訳すると、“私は彼をあなたのもとに送り帰しますが、彼は私の心臓です。”という意味になります。パウロは自分の心臓のようなオネシモを送り帰すので、私の心臓のように大切に迎え入れてほしいと願っているのです。また、「愛する兄弟として」(16)とは、キリストの内にある者は誰でも神の家族であることを指します。福音には、身分も、人種も、性別も、年齢も、この世におけるありとあらゆる差別という壁をすべて無くす力があります。オネシモは福音によって神の家族において「有益な人」に変えられました。

フィレモンへの手紙は私たちがオネシモであると教えます。また、フィレモンであると、それから、パウロであるべきであると教えますあなたは神の恵みによって罪赦され神の子とされ、聖霊によって変えられ、神の国の働き人に変えられたのだと。無益な人が有益な者、役に立つ者になれたのだと。また、私に損害をもたらした人、心に傷を負わせた人を赦し愛する神の家族として受け入れなさいと勧めます。最後に、神の懐に逃げてきた人を主イエスの愛で抱きしめ、愛されている者としてのアイデンティティーを教えてあげる働き人への招きを受けているのです。

  願わくは、小泉町教会共同体を通して、常に新しい神の家族が誕生し、一人一人が無益な者から有益な者、神の国に役立つ者として新しく変えられますように・・・。ハレルヤ!

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