2019年7月3日水曜日

2019.6.30 牧師室便り


~ 今、聞くべき主の御言葉 ~

「主はこう言われる。正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救え。寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない。またこの地で、無実の人の血を流してはならない。」(エレミヤ22:3

  先週はチャペルコンサートの後、坂上兄と共に各務原バプテスト教会の後藤寿牧師就任按手式に出席しました。各務原教会は、19905名の日系ブラジル人の幻と要望に、日本バプテスト連盟が応答し、元ブラジル宣教師の戸上信義牧師を介して、ブラジルバプテスト連盟との協議していただき、教会としての歩みを始めることができました。日本におけるブラジル人中心の教会を立てるということは、簡単なことではなかったため、皆さんの祈りと願いが、いかに切なるものであったかがうかがえます。

  1993年、いよいよブラジルから宣教師が遣わされ、1997年には教会組織も行なうほど、着実に成長を続けました。ところが、2008年の「リーマンショック」 の影響を受け、大半のブラジル人教会員76が帰国してしまうという試練に遭うことになります。その後、ブラジルからの宣教師を迎えることができず、中部連合の諸先生方の宣教支援と、教会員の働きで支えられてきました。しかし、専任教役者のいない中での教会形成の難しさに共感していた各務原教会の教会員の皆さんは、教会員であった後藤兄を九州バプテスト神学校に送り、5年間の学びを経て、今年3月卒業と同時に牧師として招聘することになったわけです。

  現在、ほとんどの教会員がブラジル人で、その他ペルー、中国、日本人らが加わって教会生活をしている多言語、多文化共生教会へのヴィジョンを抱いている各務原教会の牧師として就任された後藤先生の上に、聖霊の知恵と助けが豊かにありますように・・・。同じく中部連合に連なる教会として執り成しと協力伝道を心がけましょう。

  旧新約聖書は、繰り返し寄留の外国人を快く受け入れ、苦しめたり、虐げたりしてはならないことが神の御心であると教えます。今現在、世界中で難民拒否とそれに伴う悲しいニュースが絶えない状況です。地の果てまで神の国の福音を伝えなさいと命じられた教会として、まずできることは、日本にいる外国人や外国人教会のために愛の手を差し伸べ、福音伝道に協力することです。主の御言葉を聞き従う群れはいかに幸いでしょう。シャローム!

 

2019.6.30 本日の宣教


 「出会いから始まる」 (ヨハネ1:35—42)

 アンデレは洗礼者(バプテスマのヨハネ)ヨハネの弟子でした。アンデレは、先生であるヨハネが、イエスを見て”見よ世の罪を取り除く神の小羊”といったことばにより、イエスの弟子になった人です。イエスの所に一晩泊まってイエスの話しを聞いたのです。そして、自分で判断して、イエスがメシア、キリストだと確信したのです。私たち「バプテスト」は常に主体的に物事を考え、自分で決断します。もちろん他者の意見も聞きますが、「私の理解と決断」を大切にします。信仰は借り物では力にならないのです。アンデレは目立つ存在ではありませんでした。控えめな性格でした。しかし、彼の小さな行動はイエスの働きを大きく支えました。

1,アンデレはペテロの弟です。
イエスに出会って、イエスと語り合って、確信を持って、イエスを信じるものになりました。そして、アンデレは、まず第一に兄であるペテロにイエス様を伝えました。彼は証をした。彼は、メシアに出会った、と自分の感激を伝えた。アンデレは第一に、家族にイエス様を伝えた。家族のためにイエスを紹介することは一番の奉仕です

2、アンデレは一人の少年をイエスに紹介しました。ヨハネ6:89ー
このことが、このあとの5000人の供食の奇跡を導いている。アンデレは、現実を見て、それがいかなるものであっても、自分の判断を絶対化せず、その状況をそっくりそのままイエスにゆだねている。アンデレは、イエスに期待する。その期待が神のみわざを前進させる。

3、アンデレは、フィリポと共にイエスを訪ねる。ヨハネ12:22
フィリポは、ギリシア人がイエスに会いたいという願いを持ってやってきたとき、アンデレに相談した。そして、二人でイエスを訪ねた。アンデレは他の者たちから中立の仕事を期待されていた。何かをお願いしやすい人であった。そして、アンデレはギリシャ人をイエスに紹介した。アンデレは、「人をイエスに紹介する人」であった。

先日、福井大学病院で患者さんに付き添ってドクターと面接し、治療のことで話し合いをしました。そのとき、「メディエイター」という職種のスタッフが加わった。この方は、患者と医師の間に立ち、お互いに意思疎通がうまくいくように助ける働きをされていました。イエスはメディエイターです。神と人間の中保者としてとりなす方です。アンデレもメディエイターです。彼の喜びは、誰かがイエスに出会って、幸いを得ること。

  まず。あなたの「第一は何?」と問われている。出会いの喜びを分かち合おう。私たちは毎日沢山の出会いを頂いている。多くの人は、偶然のこととしてとらえ、すぐ忘れてlしまうことがある。出会いは神の賜物で、神は出会いを通して働かれる。
                                        田口昭典

2019.6.30 小さな泉の恵み


子どもの頃、家に背の大きな外国人が来ました。イギリス人のご夫妻です。私と弟にイギリスのお土産をくれました。ご夫妻は日本に宣教に来られていて、私の父と母がお世話になったこともあり、その子供たちである私達のことをとてもかわいがってくれました。長い間、日本で伝道者として働かれ、高齢になって母国に帰られました。先に兄弟が召され、先日、姉妹が100歳で天に召されたとの連絡がありました。子どもの頃はお土産をくれる優しい外国人のおじさんとおばさんと写っていましたが、今にして思えば、日本人への愛にあふれ、伝道に邁進されていたご夫妻に感謝の思いで一杯です。この世のものに永遠はない、ただ神様だけが永遠なるお方である、というメッセージを子どもの頃に聞きましたが、まだ自分の中に残っています。

さて、私の仕事のため家族一同で富山に引っ越した時、どこの教会に集うか迷っていましたが、閔先生の愛あふれる言動に引き寄せられ、小泉町キリスト教会に集わさせていただきました。韓国から日本に来られ、日本人への愛にあふれ、伝道に邁進されている閔先生ご夫妻の姿が、あのイギリス人のご夫妻の姿と重なって見えたのかもしれません。

小泉町キリスト教会に集わさせていただいた期間は2年弱でしたが、閔先生ご夫妻をはじめ、教会員の皆様の愛に支えら、祝福された時を過ごさせていただきました。娘の乃亜は高校1年に、息子の結樹は中学1年になりました。時々富山のことを話すと、断片的ですが、覚えていることがあります。日本人のことを思い、国境を越えて来てくださっている方から蒔かれた種が、彼女、彼の中で神様が成長させてくださることを祈っています。また、時かなって皆様にお会いできることを楽しみにしています。
 
                                           E.N兄

          

2019.6.23 牧師室便り



~ 命のある限り、新しい讃美を~

「ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。命のある限り、わたしは主を賛美し、                  
                 長らえる限りわたしの神にほめ歌をうたおう。”(詩編14612)」

  私は、母の胎内にいる時から教会に通っていた母胎クリスチャンです。今から50年も前、山奥に住んでいたわが家でしたので、町の教会に行くためには、往復5時間の距離を歩かなければなりませんでした。毎主日の礼拝に集うため、雨の日も、雪の日も、真夏の日も休むことなく、母は私が胎内にいた時から赤ちゃんであった私を背負って歩き続けたそうです。何が母をそこまでさせたのでしょうか。

母の話によると、当時のわが家には母が背負いきれないたくさんの問題を抱えていて、イエス様の助けと慰めをいただかなければ生きられなかったそうです。だから母は、毎週教会に行って讃美と祈りの礼拝を献げるうちに、信仰が強められ、イエス様との関係が深められ、どんな試練をも乗り越えることができたと証ししてくれました。とりわけ教会に通っていた4時間に及ぶ道程は、母を真のクリスチャンに変えてくれたそうです。すなわち、往復5時間の道程で歌っていた讃美が母を喜びと希望に導き、その時ささげていた祈りが母を神に結んでくれる通路となってくれたのです。細い山道と荒地を歩くことは寂しいことでしたし、時々不安が襲ってくることもあったけど、“主にすがるわれに悩みはなし、十字架のみ許に荷を下ろせば、歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ 歌いつつ歩まん、この世の旅路を(新生437)”と讃美を歌うと、いつの間にか人知を超えた平安と喜びが母の心を満たしてくれたそうです。

讃美こそ、キリスト教と他の宗教の大きな違いを現わすものであると思いますね。そう、讃美は嬉しい時だけでなく、悲しい時も、辛い時も、暗闇の中でも自然と心の底から流れてくるものであり、その讃美のただ中でイエス様との交わりをいただけるのです。神の家族お一人お一人も日々生きた讃美を歌うことができますように…。いついかなる時にも讃美できる人の顔からは喜びと感謝が、また確信が伝わってくるでしょう。シャローム!

2019.6.23 小さな泉の恵み


  昨年7月から賛育会という社会福祉法人の顧問として定期的に東京で働いています。3月までは月で7日位だったのですが、4月からは週3日間勤務しています。賛育会は、100年前に東京大学YMCAの医者たちが貧しい庶民を対象とした無料診療所から始まりました。現在は、錦糸町に本部と病院があり、東京・静岡・長野に病院・高齢者介護事業、そして保育園を行っています。職員は、パートや嘱託・派遣の方を含めて全体で2,600人が働いています。
賛育会には、日本YMCA同盟総主事になった2009年から監事を担ってきたのですが、昨年3月に父が町田にある賛育会の高齢者住宅に住むことになり、6月には監事から理事に役割が変り、賛育会のキリスト教使命を職員に浸透させることを使命として新たにできたミッションサポート部の顧問に就任しました。ミッションサポート部は、非常勤のチャプレンとフルタイムの室長の3名が関わっています。1月からは病院で毎週金曜日に礼拝を行うことがスタートし、職員研修や会議の際にキリスト教理解の機会を増やしています。
キリスト教主義の施設であってもクリスチャンの職員は少なく、16ヵ所ある各施設と教会との関係を強め、各施設で職員の聖書研究や礼拝の機会が持てることを目指しています。どうか主の導きの中で賛育会の職員や患者・利用者が救いに導かれますようお祈りください。
                                   島田 茂兄