今週から使徒信条の第二項、神の独り子イエス・キリストについての信仰告白の部分を分かち合うことになります。使徒信条には三位一体と言う言葉はありませんが、しっかりと「父なる神、子なる神、聖霊なる神」の三位一体の神への告白という構造になっています。その中で、イエス・キリストへの告白となる第二項は、父なる神を告白する第一項や聖霊なる神を示す第三項に比べて、その内容や文字数が比較にならないほど多いことに気づきます。それはつまり、キリスト教信仰の中心こそ、イエス・キリストとその救いの御業にあることでしょう。
「我、神の独り子イエス・キリストを信じる」、つまり、「キリスト」なるイエスを信じるということです。度々、「イエス」が名で、「キリスト」が姓だと誤解する人がいますが、そうではなく、「イエスはキリストである」という説明の言葉であると言ってもいいでしょう。「イエス」とは、「主は救い」という意味の、聖書時代によく使われた名前です。聖書の中にも語源同じくする名前として「ヨシュア、イザヤ、ヨシヤ、ホセア」などがいるほど、よく用いられていた名前でした。
それでは、「キリスト」とは何でしょう。これはギリシャ語で、「油注がれた者」という意味の言葉で、「救い主」のことを指します。キリストに当たるヘブライ語は「メシア」です。聖書時代から現代に至るまでイスラエルの民は自分たちを救ってくれる政6.2 治的メシアを待ち望んできました。
「油注がれた者」は、旧約聖書において、「王と預言者と祭司」の三つの職務の人に限られていました。すなわち、キリストとは、「真の王として、また真の預言者として、真の祭司として」の権限をもって、神と神の民の間に立ち執り成し、神の民を神の国にふさわしい者として導き治めておられ、やがて神の国を完成されるお方です。
まず、真の王なるキリストは、私たち神の民のために十字架の上で命さえ与えてくださるお方、そして復活の王として日々導き、訓練し、治めておられ、神の国にふさわしい者に備えられるお方です。また、真の預言者なるキリストは、神の民に、時に適って父なる神の啓示と御心を伝え、御言葉をもって進むべき道を示されるお方です。最後に、真の祭司なるキリストは、神の小羊、完全な生け贄としてご自分の命を十字架で献げ、神の民の贖いを完成されたお方、そして今も弱い私たちのために執り成し、生きた礼拝者とするために聖めてくださるお方です。
神の家族の皆さん、私たちには「キリスト」がおられることを覚えましょう。日々、真の王として、真の預言者として、真の祭司として交わってくださるイエス・キリストの前に近づき、キリストの愛と恵みの支配と導き、執り成しにすべてを委ね、生きた信仰告白をささげるお一人お一人でありますように・・・。ハレルヤ!
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