2019年6月17日月曜日

2019.6.16 小さな泉の恵み


~迷った一匹の羊を大切にする羊飼い~
  ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。(マタイ18:1213より)
神様の愛は、安全な所にいる九十九匹にではなく、迷い、傷だらけになっている一匹に向かっています。羊が迷い出たのは、羊自身の過ちですが、羊飼いはその過ちに対して叱ってはいません。私たちは過ちを犯しますが、神様はそのために救いをあきらめたり、愛することを手控えたりはなさいません。私たちが完全な人になって教会に来ることを願っておられるのではなく、罪人の姿のままで来ることを願っておられます。同時に、私たちが危機的な状況に陥ったとき、積極的に介入してくださいます。羊飼いは羊が自分で戻って来るまで待ってはいません。真っ暗な夜、山中を命懸けで捜します。一匹を救うために払う苦労と犠牲のほうが多いにもかかわらず、そうするのです。神様の関心は、さ迷っているひとりのたましいに向けられているのです。
イエス様は、失敗し、罪深く、咎の多い私たちをそのまま受け入れてくださいます。人間は利己的で高慢で自己中心的です。しかし、神様はそのような人間を条件なしに愛し、ひとり子をこの世に送り、その方は私たちのために十字架で死なれました。そこに神様の愛が現れています。
                                     (リビングライブ6月号より)

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