今のわたしには役割がたくさんあります。准看護師として働き、看護学生として学校で学び、家では3人の子どもの母です。
背負うものが多く、こんな毎日が永遠に続くと思っていましたが、この春、二十歳の長女が看護師免許を取得し、就職しました。一人暮らしをしながら黒部市の病院で働き、立派に自立しています。
そこでわたしは、“ひとつの役割が終わった”ことを実感しました。
彼女の巣立ちは親として、喜ばしく、感謝のなかに大きな肩の荷を降ろす出来事でした。そして同時に、わたしは、失う、という感覚も少なからず味わいました。
未熟な自分には子育てはストレスに感じるときもありました。しかし、母としての役割があることは、恵みだったんだ。と気付くことができました。
振り返ってみると、長女の10代後半の成長はすばらしいものがありました。それはわたしによるものではなく、彼女の賜物と努力による成長でした。
結果、案ずることなど何もなかった。過程を楽しみ、神様にただ、ゆだねていけば良かったのだな、と感じることができました。
“神のなさることはすべて時にかなって美しい。”
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