2019年5月28日火曜日

2019.5.26 本日の宣教

『 ひとりの魂 』  (マタイによる福音書9913)


黙示録の7つの教会の一つであるエペソの教会に、「あなたは初めの愛から離れてしまっている」、「悔い改めて初めのわざを行いなさい」と促されています。ところで、現代の教会は、大丈夫でしょうか。信仰の初心から外れてしまっているようなことはないでしょうか。聖書を神の言葉と信じ、その教えに従い、互いの為に祈り、聖霊の導きを求めつつ、神の御心を全うする群れとして歩んでいるでしょうか。そして、イエスの残された大宣教命令に従って伝道しているでしょうか。

クリスチャンがこの世界に今も生かされているのには理由があります。それは、わたしたちによって他の人たちが神の救いに導き入れられるためなのです。そのために、教会は伝道するのですが、今回の箇所でイエスが教える伝道の基本原理は個人伝道にあります。ここにある真理は、ひとりの魂の救いが、結果として多くの人を救うことになるということです。イエスは、収税所で多くの人の中からマタイを選び出し、彼の家に客として入られました。それによって、普段、人々からは疎んじられ、宗教心からは程遠いマタイの仲間たちも同席することができたのです。

ただ、最後に「義人を招くためではなく、罪人を招くためである」とイエスが言われたように、伝道すればだれでも信じるということにはならないことも知らなければなりません。イエス・キリストが、全世界の人の為に十字架にかかられたとは、聖書の教える真実です。ところが、多くの人は、イエスの十字架による救いを必要と感じていません。それは、自分の内にある罪を認めようとしないからです。自分の内にある醜い心を認めることをしないので、神を必要としないのです。しかし、自分の心の醜さを知り、自分の罪人であることを認めた時、イエス・キリストの十字架の価値を知るようになるでしょう。

当時の取税人は、人々から罪人のように考えられていました。彼らも自分の醜さについては自覚していたでしょう。だからこそ、そこで語られたイエスの言葉は、彼らの心に深く浸透したに違いありません。わたしたちも、多くを得ようとするのではなく、一人の魂の救いを大切に伝道していきましょう。そこから、さらに多くの魂の救いを体験させて頂けるのではないでしょうか。
                                                                  宝田 豊 牧師
 


 
 
 

 

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