2019年5月24日金曜日

2019.5.19 本日の宣教

『我、全能の父なる神を信じる』 (イザヤ63:16、エフェソの信徒への手紙3:1721)

 使徒信条はイエス・キリストを通して啓示された神を「全能の父なる神」と紹介します。神について聖書が用いている表現はたくさんありますが、その中から、初代教会は二つを選んで使徒信条に入れました。それが「父」と「全能者」という表現です。
 
 主イエスは御言葉を語る中で、神について「天のわが父」と呼ばれました。そして祈られる時には、「アッバ、父よ」と、ユダヤ人の子どもたちがお父さんを親しく呼ぶ時に使っていた呼び方(現代の日本語にすると「パパ」に当たる)で、神を呼び祈られたのです。すなわち、主イエスと天の神は「父と子」としての親しい交わりをもっておられましたし、そのような神との関係を弟子たちにも勧めておられたのです。これが伝統となって初代教会の信徒たちは、神を「アッバ」と呼ぶようになったのです。

主イエスにとって「父なる神」という関係は、全生涯を通して現れています。まずは、12歳の時にエルサレム神殿での「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前です」(ルカ2:49という言葉、また、洗礼者ヨハネからバプテスマを受けられ、メシアとしての公の生涯を始められる時に、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マルコ1:11という父なる神の御声が聞こえました。そして十字架の上で最後に叫ばれた言葉も、「父よ。わたしの霊を御手にゆだねます。」(ルカ23:46)でした。主イエスにとって父なる神は働きの源であり、力でありました。父なる神と御子との関係は、私たちの思いをはるかに超える親密さと愛そのものでした。

そして使徒信条は、「父なる神」というイメージに、「全能の父なる神」という言葉がつけられています。旧約聖書で「全能の神」は「エル・シャッダイ」という言葉で、「全能」という言葉は、何でもおできになる、また御業をなすための力をもってすべてを支配されるお方を意味します。
それでは、使徒信条を通して告白されている全能なる神とはどのような方でしょうか。天地を創造された創造主なる神が、罪の中で滅びるべき人類の罪を赦し救うために独り子を遣わされ、愛する御子を十字架にかけられた、そして愛する御子を死者の中から復活させられた。そして、その御子を信じて罪赦され神の子とされた人々を永遠の御国へ導き、永遠の命を与えられる。この神こそ、全能なる神であると告白しているのです。ですから、父なる神の全能さは、ただ圧倒的な力を指すのでなく、神の御心と御業、神の愛する子どもたちのために成し遂げられる愛の力であります。そして、父なる神の全能の力は、ただ今、神の子どもである私たちのためにも等しく成し遂げられることを覚えていただきたい。この全能なる神を、「アッバ、父」と呼ぶことができるのはいかに幸いなことでしょうか。ハレルヤ!

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