2019年5月24日金曜日

2019.5.12 本日の宣教


『我、創造主なる神を信じる』 (詩編8:110) 

「初めに、神は天地を創造された」(創1:1。聖書の最初の一節は、創造に関する言葉です。神のなさる最初の愛の形こそ創造であります。そのため、信仰者の信仰の最初に「創造信仰」を置くことは当然であると言えましょう。聖書の御言葉は、私たち人をはじめ、自然世界のすべてのものが創造者なる神の被造物であると教えます。そして、神が造られたものの中に、意味なく創造されたものは一つもなく、すべてが確かな目的をもって存在していることが記されています。

使徒信条が最初に成立されようとしていた時、キリスト教会を脅かしていたのが、世界を二元論という基準で区分しようとするグノシス主義(霊知主義)的な異端の思想でした。彼らは目に見えない霊的・精神的なものを善とし、目に見える肉体的・物質的なものを悪と分けていました。ですから、彼らの目から見ると、聖書が語る「目に見える世界を創造された神」は、当然劣等な神であったわけです。そのような異端思想との戦いの中で、真っ先に確かめ、告白せざるを得なかったのが、「創造主なる神を信じる」信仰告白であったわけです。

神はお造りになったすべてのものを御覧になった時、「見よ、それは極めて良かった。」と言われました。その中でも人は「神の御姿にかたどり、神に似せて造られた」(創世記1:26と語っており、人への神の格別な思いが記されていることが分かります。

本日の詩編8編の詩人は、神の被造物である宇宙万物に表されている神の栄光を賛美します。彼の目に映る世界こそが、創造者の手による極めて素晴らしい作品であることに感嘆します。“天、月、星、羊、牛、野の獣、空の鳥、海の魚、それに幼子、乳飲み子”を登場させ、創造者なる神の御名とその力、栄光が全地に満ちていることを生々しく感じつつ声高らかに歌っているのです。

そうです。信仰とは、“創造主なる神が私を愛してくださる事実を日々の生活の現場の中で体験し、「あなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは」(8:5と告白しつつ、その神を賛美し礼拝者として生きること”であると言えるのではないでしょうか。
 全世界70億の人口の中で、あなたも、私も、神の似姿で造られた尊い存在、誰もあなたと私の代わりになるものはいません。しかも、神の独り子の命をかけた愛が注がれているあなたと私なのです。毎日、鏡に映っているあなたの姿から創造主なる神の愛を見出す人は幸いです。そして創造主の御手に自分自身をゆだねましょう。創造の業は今もなお続けられていることを信じ、神の似姿にふさわしく造り変えてくださることを期待しましょう。「我、創造主なる神を信じます」と告白するあなたを通して神は栄光を表されるでしょう。ハレルヤ!  

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