~兄弟、仕える者、僕になる~
「わたしの様子については、ティキコがすべてを話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕です。彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼によって心が励まされるためなのです。」(コロサイ4:7~8)
今月のリビングライフのテキストの「コロサイの信徒への手紙」の結論の部分には、使徒パウロを支えていた同労者たちの名前が次々と登場します。“ティキコ、オネシモ、アリスタルコ、マルコ、ユスト、エパフラス、ルカ、デマス・・・”その一人一人の名前を挙げながら、パウロが感じたであろう喜びと感動は言葉では言い表せないものであったでしょう。
一人の忠実な同労者をもっている人は輝く宝物を持っていると言えます。しかし使徒パウロはそのような宝物を両手の指でも数えきれないほど、多く持っていた幸いな人でした。実のところ、パウロがコロサイの信徒への手紙を書いていた時期は、ローマの牢につながれていた時でした。福音のために命をかけて走り続けてきた伝道者でしたが、今彼は肉体的な束縛と健康的な弱さ、霊的な寂しさや失望などで疲れ、落胆してもおかしくないような状況に置かれていました。しかし神は時に適って必要を満たされるお方。愛なる神はパウロを助け励ますために、宝物のような同労者たちを彼のそばに置かれ、力を得させてくださいました。彼らは「時には兄弟として、時には仕える者として、時には僕として」パウロを側で支えていました。彼らの忠実な献身によってパウロは元気づけられ、主イエスの教会と福音伝道にますます力強く励むことができたのです。
私たちの生きている世界は、仕えるよりは仕えられることを、慰めるよりは慰められることを求める人で溢れています。しかし、私たちの神は、仕えること、慰めること、執り成すことを喜ぶ人を望まれます。5月から続く諸行事を前にして、パウロの同労者たちのように、お互いが「愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕」になることを喜びとしたいものですね。神が私たちの群れを祝福してくださいますように・・・。シャローム!
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