『 わたしは信じます 』 (ローマの信徒への手紙10:9~10)
「わたしは信じます」という言葉から始まる使徒信条の起源は、キリスト教会の初期の時代にさかのぼります。今日、私たちが告白している使徒信条が今の形になったのは、8世紀頃であると言われていますが、実は2~3世紀には、すでにその原型となる信仰告白文として古ローマ信条と呼ばれるものが存在し、教会で用いられていたと言われています。しかし、さらにさかのぼって使徒たちが活動していた1世紀半ば、すでにバプテスマの際に教会で告白されていたことが言われています。
「わたしは信じます」(クレド)という言葉で始まる使徒信条は、個人的信仰告白であると同時に、2千年間の世界の教会の信仰告白であります。“わたしは信じます”という言葉は、ラテン語で“クレド(Credo)”といいます。この言葉は“心臓、心”と言う言葉と、“献げる、固定する、信頼する”という言葉が一つになって出来た言葉です。すなわち、“わたしは信じます”という言葉は、“わたしの心臓を献げて、神に固定して信頼して生きる。”という意味になるのです。 ただし、「信じる」ということは、一人だけの個別の行為ではありません。一人一人の信仰者たちと共に信じるという、共同体的な意味ももっているのです。神は、わたしたち一人一人を個別的に呼んでおられますが、その一人一人との人格的な関係の中で、共同体へと導かれるのです。その中で生まれた共同体が、教会なのです。 使徒信条を含む信仰告白は、歴史における各教会と、キリスト者の置かれていた疑いのただ中で信仰の動揺を防ぎ、信仰を強め、主イエスとの関係を深めてくれる働きをしてくれました。確かな信仰告白は、疑いと不信仰の誘惑に揺れる時、私たちを主イエスに近づかせてくれます。また、信仰の成長の過程における、「避けられない試練」を乗り越えていける力を与えてくれる。ですから、私たちは毎月一度の主の晩餐の時に告白する「使徒信条」は、信仰の先祖たちが、厳しい迫害と試練にのただ中で、彼らの信仰を支えてくれた信仰告白でありながら、今日の私たちの信仰の成熟と信仰の戦いを、勝利へと導く信仰告白であり、祈りであるのです。
私たちが今ここで使徒信条に口を合わせ、信仰を告白する時、私たちは、初代教会から始まった歴史の教会と信徒たちと一つとされ、今現在の世界中で、使徒信条を告白する教会と、キリスト者が一つに結ばれることを覚えましょう。願わくは、しばらくの使徒信条の学びを通して、私たちの群れとお一人お一人の信仰が確かにされ、主に喜ばれる教会形成に励むことができますように・・・。ハレルヤ!
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