2019年4月25日木曜日

2019.4.14 本日の宣教

 
『 十字架の前に立つ日々 』 マルコによる福音書15:3341)

 主イエスが十字架にかけられた時、聖書はイエス様が十字架の上で7つの言葉を語られたと記しています。
“父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。”
“婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です。”、“見なさい。あなたの母です。”
“あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。”
“渇く。”
“エロイ,エロイ、ラマ、サバクタニ。わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。”
“父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。”
“すべて成し遂げられた。”
 わたしたちは、この十字架上の主イエスのお姿と、この7つの言葉を通じて、神の偉大なる赦しを見ることができますし、私たちの永遠の希望が約束されているのを知ることができます。そして、主イエスの十字架は、私たち罪人たちを贖うための身代わりであり、決して十字架は、決してあきらめない神の愛の熱情を見せてくれるのです。

 その主イエスの十字架に触れたことで、全く新しく変えられた人がローマの百人隊長でした。「本当に、この人は神の子だった」(39節)・・・今まではイエスという一人の死刑囚、一人の人間としか見ていなかった。しかし、十字架の出来事を通して、このイエスという人は、“本当に!”神の子であった!という大切な変化が生じたわけです。
 
 愛する神の家族の皆さん、日々主イエスの十字架を前にして生きる人は変わります。十字架の主イエスを見上げる人は、主イエスがどのような方であるのか、その方が、私とどんな関係であるのかを知るようになります。そして、その十字架の前でわたしたちも百人隊長と同じく、信仰を表すことになるのです。そうです。私たちの信仰は、日々、十字架に立たなければなりません。聖書は、信仰のあり方について、また、キリスト者における多様な信仰姿勢を教えてくれますが、まず何より、主イエスの十字架の前に立たなければ、主イエスの十字架の上に信仰を建てなければ、私たちの信仰は空しくなり、崩れてしまうと言うのです。
 
 願わくは、神の家族お一人お一人の日々が主イエスの十字架の前に立ち、十字架を見上げ、十字架の愛の感動に包まれるものでありますように…。嬉しい時も十字架、悲しい時も十字架、寂しい時も十字架、いついかなる時にも十字架の前に立つことを心がけましょう。十字架は愛です。十字架は命です。十字架は道です。十字架だけが誇りです。ハレルヤ!
 

 
 

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