2019年4月25日木曜日

2019.4.14 牧師室便り



 ~ 光なる主イエスを照らそう ~

  “イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしにう者は暗闇の中をかず、命の光を持つ。」(ヨハネ福音書812)”    
  ある旅人が、田のある町の教会訪ねた時のことです。日曜日の夕礼拝に出席しようと、夕方になって教会の庭に入りました。しかし、その教会は大古く、電設備もありませんでした。いよいよ礼拝の時間が近づくにつれ、教会の信徒たちが、灯を一つずつ持って集まり始めました。あっという間に、教会の中は美しい灯であふれ、説教壇の後ろにかかっている十字架は、その灯の灯りのゆえに、燦爛たる光を放っていました。とても素晴らしい光景に、その旅人は心から感動を受けていました。


 
  そして、人がますます集まるにつれ、互いの顔を確認し、隣の人と笑顔で挨拶を交わすこともできるようになりました。しかし、その夕礼拝には、一人のお年寄りの姉妹が病のに出席できず、彼女の席だけが空くことになり、灯りがともせませんでした。その時、その教会の牧師は、次のように話しました。「席が一つ空くと灯も一つ欠けることになり、教会堂はその分暗くなります。そうなると、その分イエスの御姿や、十字架が暗く見え、互いを確認するにも障害が生じます。」・・・
 
 年受難日礼拝では、神の家族が集い、十字架にロウソクの火を灯します。それは、イエスキリストの十字架の命をいただくと同時に、十字架の灯りに罪を燃やしていただき、十字架の愛の光をえる者としての使命を、新たにしていただくという意味をもっています。ぜひ、共に集い、十字架の灯りの輪をげませんか。シャロム!
 

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