~ 光なる主イエスを照らそう
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ある旅人が、田舎のある町の教会を訪ねた時のことです。日曜日の夕礼拝に出席しようと、夕方になって教会の庭に入りました。しかし、その教会は大変古く、電気設備もありませんでした。いよいよ礼拝の時間が近づくにつれ、教会の信徒たちが、灯を一つずつ持って集まり始めました。あっという間に、教会の中は美しい灯であふれ、説教壇の後ろにかかっている十字架は、その灯の灯りのゆえに、燦爛たる光を放っていました。とても素晴らしい光景に、その旅人は心から感動を受けていました。
そして、人々がますます集まるにつれ、互いの顔を確認し、隣の人と笑顔で挨拶を交わすこともできるようになりました。しかし、その夕礼拝には、一人のお年寄りの姉妹が病の為に出席できず、彼女の席だけが空くことになり、灯りがともせませんでした。その時、その教会の牧師は、次のように話しました。「席が一つ空くと灯も一つ欠けることになり、教会堂はその分暗くなります。そうなると、その分イエス様の御姿や、十字架が暗く見え、互いを確認するにも障害が生じます。」・・・。
毎年受難日礼拝では、神の家族が集い、十字架にロウソクの火を灯します。それは、イエス・キリストの十字架の命をいただくと同時に、十字架の灯りに罪を燃やしていただき、十字架の愛の光を伝える者としての使命を、新たにしていただくという意味をもっています。ぜひ、共に集い、十字架の灯りの輪を広げませんか。シャローム!
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