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給仕する者(執事)を増やそう ~
毎週、わが教会の昼食後の台所は笑い声と明るい会話で賑わっています。最近まで“男の人が台所に入るのは恥ずべきこと”であった日本文化の中で、兄弟方が姉妹方と共に喜んで昼食の給仕や後片付けをするということは珍しく感じるかもしれません。すべての教会の奉仕がそうですが、その中でも昼食の時は、兄弟姉妹の協働のハーモニーが響き渡っているのです。料理をする人、料理を配る人、おかずを備える人、お箸を整え、お茶を配る人、食後には皿洗いをする人、皿を拭く人、皿や箸、小道具を片づける人などなど、そして兄弟姉妹の顔には喜びと笑いが絶えません。これこそ、わが教会の自慢の一つであると言えましょう。
もともと、聖書が教えている「執事」(ギ:ディアコノス)の意味は「給仕する者」という意味です。聖書における多くの場合、給仕する者の多くは僕でした。主人のために、お客のために、仕える者としての僕の姿が、「執事」のあるべき姿なのです。ある教派や教会では、執事というと、教会の中の階級として用いられたり、名誉職のように扱われたりします。しかし、そうではない。執事は僕のスピリットをもって神と人に仕える者なのです。
次週、わが教会では2019年度、神の国と教会のために働きの先頭に立つ5人の執事を選ぶことになります。今までは4人でしたが、昨年の定期総会で提案された通り、5人の給仕する働き人を選びます。教会員が多く増えたからではありません。むしろ、“いつも決まった人ではなく、もう一人の働き人を育てたい、また、4人の執事が背負いきれなかった部分をもう一人を選ぶことで、補い合えれば素晴らしい”という神の家族の教会を思う愛からでした。神の家族の皆さん、僕になることを喜びましょう。また選ばれることを感謝しましょう。シャローム!
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