2019年2月5日火曜日

2019.2.3 本日の宣教

『 一杯の水を飲ませる味方 』(マルコによる福音書9:33~41)

  弟子たちは主イエスの後を歩きながら一つの話題で議論をしていました。“誰が一番偉いか”ということです。主イエスはいよいよ十字架という、当時の最も惨めな形で命を捨てようとしているのに、3年間もずっと傍で共に生活していた弟子たちは、主イエスが政治的にイスラエルの王になったら誰が一番偉いポストに着くのかということに心を奪われていたのです。その時、語られる御声に耳を傾けましょう。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」 …主イエスがよく用いられる「言葉の逆説」です。神の国の法則はこの世の法則とは逆の方向に向かっていることを教えておられる。現代社会の正義となっている“強い者が勝ち、力ある者が尊ばれる社会”を真っ向から否定し、神の国は、“いちばん先になりたい者が、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になる社会。子どものような小さな者が優先される社会”なのだと教えてくださいます。

そこでイエス様が用いたのが、子どもでした。子どもはしばしばイエス様のメッセージの中に登場します。特に子どもが登場する場面の多くは天国について語られる時です。無視されがちな存在、助けがなければ生きていけない存在が子どもです。ですから、小さな者の代表が子どもです。だからこそ、わたしたちは子どもを通して父なる神の愛を教えられますし、子どもたちを通して父なる神の前でどうあるべきかを学ぶことができます。だから、子どもは宝物なのです。イエス様は“この子どもを通して天国を教えてもらいなさい。祈りを学びなさい。信仰のあり方を学びなさい”と語っておられるのです。

愛する神の家族の皆さん、キリスト者の前にはイエス様の他に、この世の誰も前に立つ者がいてはなりません。イエス様の前に偉い人は一人もいないからです。ただ、赦された罪人たちがいるだけです。…わたしたちはみんながイエス様の十字架の贖いによって赦された罪人だからです。牧師も、執事も、長老も、大人も、子どもも、男性も、女性も、外国人もみんなが同じです。キリストの教会の他との違いがここにありますし、ここに教会の命が現されるのです。常に周りの小さな一人の存在に気づき、大切に抱きしめ合い、受け容れ合うことです。そうする時、私たちの教会は天国に変わるのです。
続けて主イエスは、あなた方と同じ群れに属していなくても、その人や群れが、イエス・キリストの御名を信じ、福音を正しく伝え、神の国のために働くのであれば、その人や群れは「わたしたちの味方なのだ」と言われ、彼らを批判したり裁いたりしてはならないことを教えます。そして、福音のために働く主イエスの弟子に、“一杯の水を飲ませる人は必ず報いを受ける”と、約束してくださいます。「一杯の水を飲ませる」ということは、人にできる最低限の憐れみの行為です。主イエスは私たちの力の範囲を超えた無理なことを求めておられない。誰もができる小さなこと、小さな者同士がキリストの憐れみと温かい心をもって差し出す一杯の水が世界を変える祝福に与るのです。ハレルヤ!

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