2026年4月27日月曜日

2026.4.12 本日の宣教

 『 復活の主が望まれること 』 

                       ヨハネによる福音書21章15~19節

本日の御言葉は、聖書全体の中でも最も美しく、感動的な場面の一つです。

復活の主が最初にされたことは、弟子たちのもとを訪ねることでした。そして本日の御言葉では、主イエスが愛弟子ペトロを訪ね、彼を回復される場面が描かれています。ペトロが失っていた「召命」の回復と「キリストとの関係」の再確認を通して、再び神の働き人へと招かれる、主イエスの温かい愛の御業が示されています。

主イエスはペトロが主の十字架の死の後、ずっと心に抱えていた傷をご存じでした。それは、イエス・キリストを三度も知らないと言い、しかも呪いながら否認してしまったことです。そのためペトロは、復活された主イエスに出会いながらも、その目をまともに見つめることができなかったことでしょう。

そのことをよく知っておられた主イエスは、彼を回復させたいと願われました。そして三度の問いかけを通して、それを確かめられました。「あなたはわたしを愛しているか」という問いによって、彼の愛の回復へと導かれたのです。

働き人にとって最も大切なことは、主イエスを愛するかどうか、すなわち召命の確認とその回復にあります。現代の多くの牧師や教会の働き人の中にも、かつて主イエスと出会い、与えられた召命を忘れてしまったために、無気力や憂鬱に陥る人々がいます。それは今も同じです。 私自身も、主イエスのために生きるという召命を受けた日から、時に働きに疲れ、無気力になることを経験します。そのようなとき、私のうちにおられる聖霊は、いつも私を主イエスとの最初の交わりの場所、すなわちイエス様の愛に触れた原点へと導いてくださいます。

復活の主は、私たちに特別な能力や働きを求めておられるのではありません。むしろ、主イエスとの関係の確かさ、その愛の回復を何よりも望んでおられるのです。

ペトロは三度「あなたを愛しています」と答えます。彼は自分の失敗と弱さを知っていました。それでもなお、「あなたを愛しています」と答えるしかありませんでした。主イエスはその不完全な告白を受け入れてくださいます。

ここに大きな慰めがあります。主は完全な人を求めておられるのではありません。むしろ、弱さを抱えながらも主を愛そうとする心を求めておられます。教会の働き人として立つとき、私たちはしばしば自分の不十分さに気づきます。しかしそのときこそ、「それでも主を愛していたい」と願う心が、主に用いられるのです。

復活の主が望まれるのは、華やかな成果ではありません。主を愛し、その愛のゆえに人に仕え、そしてどのような道であっても主に従い続けることです。そのような働き人を通して、主は今日もご自身の羊を養い続けておられます。ハレルヤ!


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