『 み言葉を深く味わうために 』 ~諸集会へのお誘い~
➀詩編119編105章 ②ヘブライ人への手紙二3章16節
私は2000年の8月にバプテスマを受けました。しかしその頃は、まだ現役で忙しい職場におり、さらにその数年後、夫が倒れて重度の障害が残り、病院や施設の行き来が続きました。そのため、教会に行けるのは月に2回ほどで、礼拝に出るのが精一杯でした。
その後、何とか時間を工夫して毎週礼拝に行けるようになりましたが、実は、私はその時 10年以上教会に通いながら聖書をきちんと理解して読むことができませんでした。
本を読むのは子どもの頃から大好きで、海外文学、日本文学など、どんな本でも夢中で読めるのに、聖書は文字をなぞるだけで、内容が心や頭の中に入ってこないのです。
そのため、私は私を信仰に導いてくださった藤木正三先生という方の聖書解説などの本を読み、先生の目を通して聖書を理解していました。そのため自分の目と心でしっかりと読むことができなかったのです。
その数年後、ある時から毎日の祈りの中で、「どうか、自分の眼と心で聖書を読めるようにしてください」と祈っていました。いつまでもそのままではいけないと思ったからです。そして退職を機に火曜日の午前に行っている楽しい聖書の学びと金曜ディボーションにも出るよう なりました。水曜日夜の水曜祈祷会には、それより数年前に夫が倒れた時に、皆さんが何度も心を合わせて執り成し祈って下さったとお聞きした時から参加していました。
それからは、三つの諸集会で、牧師先生が毎回行われる聖書の内容の解説を聞き、み言葉の背景や文脈、言葉の意味を知る中で、少しずつ聖書が自分の中で開かれていきました。
そしてある日、聖書を読んでいると、そのページのある所で急に文字がふっと浮き上がるように見え、その箇所がまるで私に語りかけてくるように感じたのです。それは不思議な体験で、今思うと、ちゃんと読めなかった聖書のみ言葉が神様からのメッセージとして私の元に届いた瞬間だったのだのではと思っています。自分のその時の不思議な感覚と喜びは今でも忘れられません。
その後、諸集会に参加続ける中で、自分の読みと牧師先生の説明が少しずつ重なり合い、聖書が“神様からの言葉”として読めるようになっていきました。これらの経験を通して、礼拝だけでは得られない深い聖書の学びと喜びが諸集会にはあると思っています。皆さん一緒に学び、祈りませんか、イエス様が、そこで静かに待っておられますよ。
瀨戸泰子
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