『 あなたへの神の熱心 』
テサロニケの信徒への手紙一5章23~24節
明けましておめでとうございます!!!
主の御名を賛美いたします。新しい年、2026年が始まりました。私たちは今、真っさらな時間という贈り物の前に立っています。この時期、多くの人が「今年こそはこうありたい」という目標を立てるものです。「一日も欠かさず聖書を黙想したい」「信仰生活を整えたい」「もっと忍耐強くなりたい」「愛をもって隣人に接したい」…。こうした願いは、私たちが神を信じる者として、より良く生きたいと願う貴い志であると言えましょう。
本日のテサロニケの信徒への手紙には、私たちの「人間的な熱心さ」を遥かに凌ぐ、「神の熱心」が記されています。パウロが手紙の結びに記したこの力強い祝福の言葉を通して、新しい年を歩み出す私たちが、どこに真の希望を置くべきかを共に深く味わいたいと思います。
パウロはまず、「平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように」と祈ります。
ここで最も重要なのは、「聖くなる」というプロセスの主語が、私たちではなく「神御自身」であるということです。私たちは信仰生活を、自分の努力で階段を一段ずつ上っていくようなものだと考えがちです。しかし、聖書が語る「聖さ」とは、人間が自分を磨き上げることではなく、神ご自身がその者を聖別し、御心にふさわしく造り変えていかれるという神の積極的で熱心な働きを指します。 次に、パウロは具体的な祈りを献げます。「また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り……」。
神は、私たちの信仰心だけを見つめておられるのではありません。心の奥深い思いや、揺れ動く感情、思うようにならない体も含めて、私たちの全存在を守ろうとされます。私たちはしばしば、自分の弱い部分や不安定な部分を神から隠そうとします。しかし神は、そのような部分も含めた「あなたと私の全存在」を招かれたのです。すなわち、神の関心は、私たちの全人格、全生活に及んでいるということです。神の熱心は、私たちの「霊」を救うだけでなく、私たちの「魂」の傷を癒やし、そして私たちの「体」の健康や日々の生活の営みまでも、尊いものとして見つめておられます。
神の熱心は、私たちの「欠け」を、愛をもって包み込み、主イエス・キリストが再び来られるその完成の日に「非のうちどころのないもの」とされることに至ります。今はまだ、失敗もすれば、罪を犯すこともある私たちです。 しかし、自分の不完全さに絶望するのではなく、神の真実と神の熱心によって変えられる自分自身を見つめながら新しい歩みを始めましょう。
「あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。」ハレルヤ!
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