『 見ないで信じる者は幸いである 』
ヨハネによる福音書20章24~29節
人間は、目に見える存在が自分の近くにいてくれたり、目に見えるものが自分の手元にあると安心できるのかもしれません。そして、信じやすいのかもしれません。
私たちの信じる神様は、どうでしょうか。
目には見えませんが、いつもすぐそばにいて下さることを私たちは知っています。
こどもの頃にこんな賛美歌を習いました。
♪美しいこの空を 愛らしいこの花を
浮かんでる白い雲 香り良き青草を
じっと眺めるだけで ただ眺めているだけで
ほら君もわかるでしょ 神様がわかるでしょ
この世界を見たら、神様の存在が分かる。
ある生物学者は、遺伝子の構造や生命の仕組みの精巧さを目の当たりにして、
これらは、偶然ではありえない この根底には、偉大なる何かが存在する 「Something Grate」の存在を提唱しました。
生物自身の進化や、人間業ではどうにも説明のつかないことがあるのだということ。
この学者は、「神様」とは呼んでいませんが、「Something Grate」偉大なる何かが存在するのだと言います。
「見ないで信じる者は幸い」とイエス様は言われました。聖書でいう「幸い」とは、私の幸でもあり、同時に「神様の幸」でもあります。私が神様を信じて歩むことを、神様は喜ばれご自身の「幸」とされます。
T.A.姉(金沢キリスト教会)
0 件のコメント:
コメントを投稿