2025年8月25日月曜日

2025.8.3 本日の宣教

 『 被造物のうめきに答えて 』

                  ローマの信徒への手紙 8章18~22節

私たちが生きるこの世界は、今、大きな痛みの中にあります。激しさを増している戦争、気候変動や自然災害、飢餓、環境破壊…。日々届くニュースは、まるで世界そのものが悲鳴をあげているかのようです。かつて当たり前だと思っていた季節の移ろいや、自然との調和が、今や過去のものとなりつつあります。人間の経済活動や欲望の追求が、地球という家を激しく揺るがし、そこに生きる被造物たちの命までも脅かしています。

こうした現実の中で、本日のパウロの言葉は私たちに鋭く、そして優しく問いかけてきます。

「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。」(8:19)

被造物、それは、私たち人間を含まない自然界全体を指します。動物、植物、大地、空、海…あらゆる存在が、私たちの目には見えないところで、神の子たちの「現れ」を待っているというのです。なぜでしょうか?

それは、創世記にさかのぼります。アダムとエバの罪によって、人間は神との関係だけでなく、自然との調和をも失いました。神は言われました。「お前のゆえに、地は呪われるものとなった」(創世記3:17)。以来、被造物は「虚無」に服し、調和を失ったまま、もがき苦しんでいます。

しかし、被造物は決してあきらめてはいません。

「被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるのであり、同時に希望も持っています。」(8:20) 希望、それは、神の子たちが回復され、神との関係、 そして被造物との関係が回復される時が来るという約束です。つまり、私たちキリスト者が神の子としての姿にふさわしく変えられていくことこそが、被造物にとっての希望なのです。…ここに、私たちに課せられた大きな責任と使命があります。神の子とされた私たちは、ただ個人的な救いを待ち望むのではなく、被造物全体のうめきに耳を傾け、それに応える存在へと召されています。すなわち、私たちが神の栄光を映し出す生き方をするとき、自然界は本来の秩序と美しさへと近づいていくのです。

「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:22)

私たちは今、痛みと混乱、そして未来に対する不安が満ちる時代を生きています。自然災害が多発し、気候変動は年々深刻になり、地球の各地では戦争や飢餓、破壊と死が繰り返されています。教会は、この被造物のうめきに応える者として立つべきです。自然を無関心に搾取するのではなく、それを愛し、ケアし、癒す働きに参与していくべきです。

平和を覚えるこの時、私たち一人ひとりが神の子としての姿を生きること、それこそが被造物にとっての「福音」であることを自覚しつつ、歩みたいものです。ハレルヤ!


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