「平和を叫ばなくてもよい時代を」
「わたしは唇の実りを創造し、与えよう。平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者にも。わたしは彼をいやす、と主は言われる。」(イザヤ57:19)
平和、平和、…世界各地で今も叫び続けられ、求め続けられている言葉です。しかしいつになったら平和という言葉を叫ばなくてもよい時代が来るでしょうか。
聖書は、真の平和の源を明確に示しています。それは、単に戦争が終わることや争いがなくなることではなく、神と人との関係が回復することです。人間の罪によって断ち切られたその関係が、キリストの十字架の贖いによって回復されたとき、私たちは心の中に、また生き方の中に平和を持ち体験して生きることができます。パウロは「キリストは私たちの平和である」(エフェソ2:14)と告げています。平和はまず神との和解から始まり、その和解が人と人との間、また人と自然世界の関係をも変えていきます。
しかし、キリスト教が世界各地に宣べ伝えられているのに、世界は依然として争いや分裂に満ちていますし、さらに争いと分裂が激しさを増し広がっている状況です。どこを見ても希望の兆しは見えず、絶望の暗闇に覆われている世界です。
主イエスはキリスト者に向けて「平和を実現する人」(マタイ5:9)として召されています。それは受け身で待つことではなく、日常の中で小さな平和の行いを積み重ねることです。赦しを選び、対話を続け、弱い者の声に耳を傾けること。自分の正しさを振りかざすよりも、へりくだって相手と共に歩むこと。これらは世界を一気に変える力には見えないかもしれませんが、神の国の価値観では小さな種が大きな木に育つように、やがて実を結ぶのです。
平和という言葉を叫ばなくてもよい時代、それは、平和の主が再臨され神の国が完全に実現するときに訪れます。しかしその日まで、私たちは地上での使命を果たします。神との平和を土台に、隣人との平和を築き、世界のうめきに耳を傾けながら歩む。そのようにして、私たちは「平和を実現する人々」としてこの時代に生きるのです。シャローム。
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