『主イエスとの 40日間の遠足 』
使徒言行録 1章3~5節
主イエスは十字架にかかり、確かに死なれました。しかし、三日目に死を打ち破ってよみがえられたのです。そして復活後、主イエスはすぐに天に昇られたわけではありませんでした。…「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」(使徒言行録1:3)
ここに、私たちが注目すべき素晴らしい事実があります。主イエスは、復活の栄光をただ一瞬だけ弟子たちに見せて去られたのではなく、40日にわたって共に歩み、語り、教え続けられたのです。
聖書の中で「40」という数字は、神と共に歩みながら、その臨在にあずかる期間、教えと訓練の期間、あるいは裁きと悔い改めの期間としてしばしば用いられます。しかし、本日の40日間は、主イエスと弟子たちにとって、まるで「遠足」のような特別な時間でした。
遠足とは、日常を少し離れて、特別な場所へ出かけ、共に時間を過ごし、新しいことを学び、心を新たにする旅です。とりわけ主イエスは、その40日間を通して、弟子たちがやがて帰るべき「神の国」を夢見、思い描くことができるように教えてくださいました。
それは単なる知識やイメージにとどまらず、「いつも共におられる復活の主」として、弟子たちに確かな確信を与えるものでした。食事を共にし、祈りを共にし、問いかけに耳を傾け、時に励まし、時に待ちながら、弟子たち一人ひとりの心に、神の国のビジョンをしっかりと植え付けていかれたのです。 そして主イエスは、ご自身が昇天された後も、弟子たちと新しい旅を共にしてくださる「聖霊」を待つように告げられました。
「父の約束されたもの(聖霊)を待ちなさい。(1:4)」
新しい遠足の旅は、「聖霊」というお方と共にすることになるのだと教えておられるのです。約束された聖霊は、私たちを新しくし、力づけ、導き、神の国のために生きる者へと変えてくださいます。主イエスとの40日間の遠足の目的は、まさにここにありました。すなわち、新しく始まる遠足が、「聖霊に導かれる旅」へと移り変わるということなのです。
そして同じように、私たちもまた、主と共に歩むこの「人生」という遠足の中で、日々御言葉に耳を傾け、神の国への主の約束を信じ、聖霊の力を待ち望みながら、十字架と復活の証人としての旅を進んでいくのです。
愛する神の家族の皆さん、復活の主は、40日間の遠足を終えられた後、ペンテコステの恵みとして聖霊を送ってくださいます。あなたの訓練のために備えられたこの40日間の旅を通して、ご自身が生きておられる復活の主であることを、確かな証拠をもって示され、神の国について教え、聖霊のバプテスマという恵みを与えてくださいます。とりわけ今は、「聖霊と共にする遠足の時」であることを忘れず、聖霊を待ち望むお一人お一人でありますように…。ハレルヤ!
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