「 主イエスの苦しみに与る恵みを 」
先週一週間は、思いがけないコロナ感染によって、ご迷惑をおかけしてしまいました。初めてのコロナ感染となり、高熱に苦しんだ後、数日間は嗅覚が低下する後遺症が現れました。これまでコロナの後遺症について話には聞いていましたが、いざ自分が経験してみると、感染を経験された方々の苦しみがどれほど大きかったのかと思い巡らせる時を過ごすことになりました。
今は5類感染症に位置づけられたため、軽く受け止められるようになりましたが、新型コロナウイルスが始まった時のことを思い出します。当時、社会的な恐怖によってパニック状態に陥り、人々は絶えず犯人探しをし、見つかったら同じ町から追い出すところまで騒いでいたことを覚えています。その時も皆さんに語りましたが、誰でも、またどこでもかかる可能性のあるものであり、決して人を裁いたり、責めたりしてはなりません。なぜならば、そのように責めていた人が反対の立場になることもあるでしょうし、誰もその可能性から逃れられる人はいないからです。大切なことは、病の中で苦しむ人を支え、励ますことです。そして、互いに感染しないように常に注意を払うことです。もちろん、そのようにしてもかかってしまう場合もあることを念頭に置くべきでしょう。互いに愛し合い、赦し合い、支え合うことが求められます。
先週水曜日から、私たちは受難節に入りました。イエス・キリスト、神の独り子は、私たちのすべての罪、弱さ、様々な問題、課題、病をその身に負われました。罪のない方が、罪人としてのすべての災いを受け、十字架の道を歩まれたのです。だからこそこの受難節は、その十字架のキリストの受難を覚え、黙想し、目を向ける時です。自分がどれほど神に愛されている存在であるか、私たちの罪がいかに深いものであるか、そして隣人への主イエスの愛がいかに素晴らしいものであるかを思い巡らせましょう。願わくは、主イエスへの愛がさらに深められ、神の家族同士の愛と執り成しが満ち溢れる受難節であるように。シャローム!
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