2025年3月31日月曜日

2025.3.30 本日の宣教(交換講壇)

 『 蛇のように鳩のように 』

                    マタイによる福音書 10章16~23節

弱い私たちに、弟子たちに、これから起きる苦しみ、迫害の中で、どう歩むのかということを教えられています。22節では「最後まで耐え忍ぶ」ことが求められます。弟子たちに、苦しみ、迫害の中で、耐え忍ぶ者が救われる。自分を苦しめる者に対して、対抗していくのではなく、鳩のように素直な者として、苦しみを耐え忍んでいくようにと。23節では「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい」と。忍耐する、というのは、最後まで耐え忍ぶのは、そこに踏み留まり続けることではありません。逃げ出して別の場所、別の人の所へ、行ってもいいのです。逃げることが証しすることをやめることではありません。ある場所での証しがうまくいかない時に、その場所から離れてみる、別の方法に切り替えてみる、それが、かえって多くの人々に、伝道できるのだといわれます。求められていることは、どんな場所ででもいいから、鳩のように素直な者として、うまく苦しみを耐え忍んで、証を続けて行くことでしょうか。鳩は、愛や平和の象徴とされています。また、古代のイスラエルにおいて鳩は「心の鳥」と考えられ、「柔和、無邪気、純潔な貞操のシンボル」とされていたようです。そして、ここで「素直に」と訳されている言葉は、もともとは「混じりけのない」とか「純粋な」とも 訳すことができる言葉だそうです。

 イエスさまが弟子たちに向かって、「鳩のように、悪に染まらず、純粋でいなさい」と話されているイメージが、分かります。蛇は、神さまに特別扱いされている人間が失敗すれば、自分が神さまから特別扱いされる地位を、自分のものにできるのではないかと思い、人間に嫉妬したのだ。そんな心から、蛇はエバをそそのかし、騙したのではないだろうか。イエスさまは蛇の言葉の奥に隠されている、ずる賢さを知れと言われているのでしょうか。では、私は、蛇のように賢く、鳩のように、素直に生きる為に、どうすればよいのでしょうか。攻撃された時の為に武器を持つ国になる。そうではない。神さまが求めておられるのは、愛と平和です。言葉による対話です。武器を持つことが平和を守ることではないと、思い伝え続けること。ここは岩盤が固いから、海抜が高いからと情報を鵜呑みにして準備を怠らないこと。こんなに儲かるとか、不安をあおってだまし取るなど、蛇の悪だくみの中に隠されている悪をしっかりと見つけること。神さまからの、み言葉を忘れずに、神さまのものさしで、正しく判断することが必要だと思いました。

                        金沢キリスト教会 調子由美子


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