2025年3月4日火曜日

2025.2.16 本日の宣教

 『 霧のような人生を楽しむ 』

                  (ヤコブの手紙4章13~17節)

今日の聖書の御言葉で、ヤコブは「あなたがたの人生は霧のようである」と語っています。 これは、確かに否定的な意味を含んだ言葉です。 まさしく私たちの人生は、むなしく、はかないものであるからです。

しかしヤコブは、その後の言葉を通して、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきであることを教えます。たとえ霧のような人生であっても、その限界を知りつつ生きることで、それは単なる虚しさではなく、むしろ感謝と充実、そして恵みへと変わるのです。

ヤコブはまず、「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と語る人々を告発します。これは実際、当時の地中海を舞台に活発な貿易活動を行っていた商人たちの姿によく見られる姿であって、教会の信徒の中にも、このような貿易商人がいたことを明らかにします(使徒16:14–15、黙示録3:15以下)。 特にこの例えは、主イエスが語られた「愚かな金持ち」の教え(ルカ12:16–21)に似ています。金を儲けるためにさまざまな計画を立て、奔走する商人たちの姿は立派であると思います。ヤコブも、商売をする人が未来を計画し、ビジョンを持つこと自体を否定しているわけではありません。しかし問題なのは、その計画の中に神がいないことです。 彼らの計画の中で、神が神として認められているか、また神の御心と栄光が排除されていないかが問われています。

キリスト者は、自分の人生に対して神の深い介入を 求めるために、自らを御前に差し出さなければなりません。 私たちの夢や計画が常に神の導きの中にあることを認識しながら生きるべきなのです。

ヤコブは、神こそが人生の主権者であると教えています。 だからこそ、私たちのすべての計画や思い、考えを神に服従させなければなりません(箴言16:9、Ⅱコリント10:5–6)。 その生き方として、 「むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです」(ヤコブ4:15)。 つまり、「いつ、どのように」行動するかよりも、人生全体に神の摂理を認め、すべての計画において神の御心を優先することが勧められています。

ただし、キリスト者の間で「主の御心であれば、…」という言葉が、むやみに乱用されたり誤用されたりしてはいけません。 私たちの生涯は全面的に神の摂理と導きの中にあることを告白しつつも、日々の生活の中でまず神の御心を求め、その後に計画を立て、行動する習慣を身につけることが大切です。その中で、神の御心と自分の思いが相反するときには、自分の思いを果敢に捨て、神の御心に従順になることが求められます。

私たちの人生は短く、どれほど計画を立てても思い通りにはいかないかもしれません。しかし、神の御心の中で生きるならば、与えられた日々を喜びと感謝をもって楽しむことができます。「霧のような人生を楽しむ」ことこそ、信仰者に与えられた祝福なのです。ハレルヤ!


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