『おめでとう マリア』
ルカによる福音書 1章26~38節
アドヴェント第二週の主の日を迎えました。「アドヴェント」とは「到来」を意味します。救い主が来られることを待ち望む「時」、私たちにとっては、御子イエス様の降誕・クリスマスを待ち望む備えをする時であると承知しています。聖書の出来事に思いを巡らしながら、主の導きを求めつつクリスマスの日を迎えましょう。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(ルカ1:26)
天使ガブリエルが、ナザレの町に住むおとめマリアに<受胎告知>をする時の挨拶の言葉です。「おめでとう、マリア。」という言葉のラテン語訳が「アヴェ・マリア」です。本来は「こんにちはマリア」という挨拶の言葉だそうですが、そこには単なる挨拶では終わらない、他の挨拶とは違うのだと言う意味合いを込めて、「おめでとう」という訳語を多くの翻訳者があてているのです。
突然の天使の来訪とその言葉にマリアは戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込みました。天使は「あなたは神から恵みをいただいた」と重ねて告げます。「恵まれた方」とは何だろう。「恵み」とは何だろう。30節の直訳は「あなたは神のかたわらで恵みを発見している」(田川建三訳)となるそうです。神の恵みとは見ようとしなければ見えないものであると言うことができるのでしょう。「神の子の母となる」という事は、マリアにとって「恵み」と言えるものだったでしょうか。「おめでとう」と言われるものだったでしょうか。ヨセフと婚約中の身であったマリアにとっ て、これは当時の律法の基準から言えば、死にも値するもの、一生負わねばならない重荷であると分かっていました。ヨセフは何と言うでしょう。ナザレの町の人々はどんな目で自分を見るでしょう。どんなに弁明しても誰が分かってくれるでしょう。様々な心配事が一気にマリアを襲ったでしょう。そしてマリアは「ノー」と言うことも出来ました。
マリアは苦渋の決断をします。「神に出来ないことは何一つ無い。」と宣言する天使の言葉を受け入れ、「わたしは主のはしためです。お言葉通り、この身に成りますように。」と。マリアにとって「苦難の人生」の始まりであったかもしれません。けれどこの「イエス(はい)」が、「神我らと共におられる」インマヌエルという出来事を現してくれることとなったのです。
わたしたちもまた、「何故?」と言う出来事に出会っていきます。けれど、迷いの中で、苦渋の中で、理解してもらうことは難しいと思われる中で、恐る恐る「はい」とうなずくときに、「神に出来ないことは何一つない」キリストが共に歩んで下さる人生を進んでゆくことが出来るのです。「おめでとう」と語りかけて下さる「恵み」のうちに、クリスマスを待ちましょう。
金沢教会員 田 口 淳 子
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