『御言葉を朗読し、聞き、守る幸い 』
ヨハネの黙示録 1章 3節
「この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。」…私たちはこの短い一節を通して、初代教会の信徒たちがどのように神の御言葉に触れていたかを知ることができます。とりわけ、本日の御言葉は、神の言葉が朗読され、その言葉を聞き、そして守り実践することの重要性について、さらにその背後にある「終末の時の緊迫感」について教えています。
特に、本日の御言葉から注目すべきは、「朗読する」「聞く」「守る」という三つの動作です。この三つの動作は、単なる順番に過ぎないのではなく、信仰における御言葉を受け取る信仰者の基本的な姿勢であり、信仰生活の土台を示していると言えるでしょう。
まず、「朗読する人」とは、神の言葉を他者に伝える人を指します。これは、牧師や説教者だけでなく、神の言葉を共有するすべての信徒に当てはまります。私たちは、神の御言葉を他の人々に伝える責任を持っています。これは特定の人々だけに与えられた使命ではなく、すべての救われたキリスト者が担う使命です。神の言葉には力があり、語られた言葉は無駄に終わることなく、必ず新しい変化をもたらすと信じます。したがって、神の言葉を朗読する機会が与えられるとき、私たちは恐れることなく、大胆に、そして忠実にそれを伝えるべきです。
次に「聞く人」です。これは単に耳で聞くだけではなく、心で受け止め、理解しようとする姿勢を含みます。主イエスはしばしば「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われましたが、それは単に言葉を音として聞くだけでなく、心を開き、受け入れ、その言葉が私たちの内面を変えてくださることを許すことを意味しています。まさしく、聖霊によって語られる言葉を聞くことは、信仰生活の核心であり、霊的成長につながるものです。
最後に、「守る人」です。これこそ、御言葉が求める最も重要な要素だと言えるでしょう。神の言葉を守るとは、聞いた言葉を単なる情報として受け取るだけでなく、日常生活で実践することを意味します。主イエスは、聞いても実践しない者を「砂の上に家を建てる愚かな者」と言われ、逆に、神の言葉を守り実践する者を「岩の上に自分の家を建てた賢い人」と言われました(マタイ7:24~27)。その通り、私たちは神の言葉を守り、実践することによって真の幸いを得ることができるのです。
ヨハネは、御言葉を朗読し、聞き、守ることの幸いを迫り来る世の終わりの時と結びつけて語ります。「時が迫っている」とは、終末を生きるキリスト者が備えるべき緊迫感を表しています。願わくは、日々、御言葉との親しい交わりの中で時代をしっかり見極め、主イエスが約束された再臨と神の国の成就を信じて待ち望む、幸いな神の家族でありますように…。ハレルヤ!
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