2024年11月5日火曜日

2024.11.3 本日の宣教

  『神の友と呼ばれたい』

                                                        ヤコブの手紙 2章 18~26節

信仰と行いの一致は、神の子どもたちへの父なる神の御心です。ヤコブは2章で「行いのない信仰は宗教的偽善であり、信仰がないからこそ愛の行いができないのだ」と強調しています。つまり、ある人の言葉と行いが一致しなければ、人々はその人の言葉ではなく、行いによってその人物を判断するようになります。

ヤコブは、信仰と行いが一致していた例として、アブラハムとラハブの二人を挙げています。特に、アブラハムが神に義とされるために息子イサクを献げた出来事が取り上げられます。100歳の時に奇跡的に与えられた息子イサクをいけにえとして献げるようにと神に命じられたアブラハムは、創造主であり復活の神への絶対的な信頼をもって、この試練に立ち向かいました。

その時のアブラハムの信仰についてヤコブは次のように記しています。「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです(23節)。…聖書の中で「神の友」と呼ばれた人はアブラハムだけです。それほど彼は神との親密な関係を持っていました。「神の友」とは、単に神を信じる者を指すのではなく、神を深く信頼し、神の御心を理解し、その御心に従順に具体的な行いをもって応える者を指します。アブラハムが示した信仰は、まさに神に対する従順と献身によって完成されたものでした。そうです。信仰とは、頭の中の思いや感情にとどまるものではなく、具体的な行動によって示されるべきものです。

最後にヤコブは、「魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。(26節)」と強調します。信仰とその信仰に基づく行いは、決して切り離せるものではありません。

「神の友と呼ばれたい」と願う私たちにとって、信仰は心の中にあるだけでなく、その信仰がどのような行いに結びついているかが重要です。アブラハムやラハブのように、神への信仰を具体的な行動で示すとき、神は私たちを喜び、「友」と呼んでくださるでしょう。

愛する神の家族の皆さん、私たちも日々の歩みの中で、神の愛と信仰を行動に表しましょう。苦しみの中にある隣人を愛し、困難に直面しても信仰の決断と行いをもって神に従うとき、私たちは神の友としての親しい関係を築くことができます。

願わくは、お一人おひとりが神の友と呼ばれる人となり、神と隣人に喜ばれる信仰者としての歩みを続ける日々でありますように…。

ハレルヤ! 

                




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