『 あきらめず叩こう 』
マタイによる福音書7章7~8節
主イエスは、神に祈ることを教えるために「求めなさい」「探しなさい」「たたきなさい」という三つのことを勧めておられます。特にこれらの動詞は命令形の現在進行時制であるため、本来の意味は「求め続けなさい」「探し続けなさい」「叩き続けなさい」となります。つまり、主イエスの勧めに従って忍耐をもって祈り続けるなら、「与えられる」「見つかる」「開かれる」という神の応答が保証されているのです。これは、神の子どもたちの祈りに対する父なる神の確かな約束です。
私たちは時に、「神は本当に私たちの祈りを聞いておられるのか?」と疑ってしまうことがあります。しかし、神は常に私たちの祈りを聞き、最善の答えを用意してくださいます。そして、神の時に、私たちの想像を超える祝福として応えられることになります。そこで大切なことが「あきらめず」に、求め、探し、たたくことなのです。
特に、本日の御言葉が示そうとしているのは、「祈りを聞いてくださる神への信頼」です。主イエスは、父なる神への信頼をもって祈り続ける姿勢を、神の子どもたちに求めておられます。したがって、祈りが叶うかどうか以上に、すべてをご存じであり、すべてを聞いておられ、良しとされる時に応答してくださる神に対して信頼をもって粘り強く祈り続けること自体が、キリスト者の信仰の成長につながるのです。
先週の2024年チャペルコンサートでは、本当に大きな恵みと喜びに包まれました。特に感謝したのは、しばらく神の家族の交わりから離れていた方々が再び礼拝に集まり、喜びの涙をもって互いを確認し合えたことでしょう。
この出来事を通して、私たちは改めて、教会から離れている他の方々のことを思い起こし、彼らが戻ってくることへの期待が一層強まったことでしょう。
主イエスはいろいろなたとえ話を語られる中で、常に強調されていた姿勢がありました。それこそ、一人を救うために「決してあきらめられない」姿でした。
良き羊飼いのたとえ話では、一匹の羊が群れから離れてさまよっていたことを、そのまま放っておくことはしません。羊飼いは山の隅々まで探し回り、危険や試練を乗り越えて見つけ出します。そして、とうとうその失われた羊を見つけたときには、肩に背負って帰り、喜びのあまり周りの人々を招いて祝宴を開きます。また、ルカによる福音書14章23節では、「無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ」と命じておられます。この言葉には、神が失われた人々に向ける熱情の愛が込められており、そのために私たちを遣わそうとしておられるのです。
愛する神の家族の皆さん、もしかすると、私たちは神に対して祈る時も、また大切な人への福音伝道においても「あきらめる」ことに慣れてしまってはいないでしょうか。失われた者を探し出して喜ぶことこそ、私たちの父なる神の御心です。そして、それこそ私たちが備えるべき姿勢でもあります。そうです、あきらめずに叩き続けることが大切なのです。
ハレルヤ!
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