~ あなたは何者? ~
先週の礼拝後、『赦しのちから(英:Overcome)』という映画を観ました。その映画にはさまざまなメッセージが含まれていましたが、特に印象に残ったのは、主人公と質問者との会話のシーンでした。
質問者は主人公にこう問いかけます。「君は何者?」。主人公はなんとなくその問いに答え、「自分はバスケットボールのコーチだ」と言います。すると質問者は次に、「もしその立場を奪われたら?」と問います。今度は主人公は「歴史の教師でもある」と答えます。しかし質問者はさらに突っ込みます。「それも奪われたら、君は誰だ?」主人公は「私は夫であり、父親だ」と答えます。けれども質問者はさらに問い続けます。「でも、もしそれらが変わってしまったら、君は何者だ?」少し疲れた様子で、主人公は「自分は白人のアメリカ人だ」と答えます。質問者はさらに踏み込んで、「それを除いたら、君は誰だ?」と問いかけます。最後に主人公は、「私はクリスチャンだ。キリストを信じている」と答えます。その答えを聞いた質問者は「それはどれくらい大事?」と尋ねます。すると、主人公は「すごく大事だ!」と力を込めて答えます。しかしその時、質問者は彼に衝撃的な一言を投げかけます。「キリストがこれほど低い扱いをされるとは?」と。そして「自分が何者かは、心を捧げるものと結びついているんだ。キリストは君の一番には到底思えない」と主人公に迫ります。その言葉に、主人公は心を揺さぶられ、大きな衝撃を受けます。
神の家族の皆さん、「君は何者なのか」と問われた時、「自分がキリスト者であること」や「キリストを信じていること」は、私たちの心の中でどれくらいの位置を占めているでしょうか? 私たちがイエス・キリストを信じていることは、何にも勝るものであり、イエス・キリストは何にも代えがたいお方ではありませんか。それでは、改めて聞きましょう。「あなたは何者ですか?」 シャローム!
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